1952年、米国FBIの要請を受け、英国情報機関MI5が喜劇王チャーリー・チャップリン(1889-1977)の素性調査をした。が、本名、出生地、幼少時の諸事など、何一つ確認できなかった。そんな機密指定の文書が、先日、情報公開された記事が新聞に載っていました。"赤狩り"でアメリカを追われ、スイスへ移住。ローザンヌで没したチャップリン。ヨーロッパへ亡命(?)する直前までお忍びで暮らしていた小さな家がカリフォルニア中部にあります。図らずもその家を見学したことがあります。小柄だった彼のベットは小さく、室内の調度品他の装飾は意外にも地味でした。ロリータ・コンプレックスだったとされる彼は十代の少女とその家で邂逅の時を過していた。暖炉の上にはそんな日常を映したプライベート写真が数枚、無造作に飾られていました。その場所は、米国カリフォルニア、サン・シモン郊外にある通称ハースト・キャスル(Hearst Castile)です。
自称"プール研究家"のワタシは「凄いプールがある」と知れば何はさて置いても観に行くことにしています。
ハースト・キャスルには、世界一とされるネプチューン型プールがあります。このプールは桁外れの豪華さ。何せタイル貼りの一部は古代ギリシャやローマの神殿や遺跡から買い集めたモノを使用。長さ約34メートル、深さ1~3メートル。昔は温水プールで更衣室だけでも17あったとか。その当時、米国の出版マスコミ界のドン。大富豪ウイリアム・ハースト(1863-1951)の大邸宅として100年前に建造されたものです。贅の尽くし方が半端ではない。邸宅にはもう一つ、母屋内にローマ風の屋内プールがある。こちらは25メートルで深さは3メール。全てベネチアングラスのタイル貼りです。
この大邸宅は小高い丘と森に囲まれており、その片隅にヒッソリ佇む小屋がチャップリンが少女と過ごした場所。戸口には"Charlie's"とだけ記された名札が下がっていました。
ベストセラー『私の自叙伝』によると、チャーリー・チャップリンはロンドン生まれ、両親ともストリップ劇場で働く芸人。その後、両親は離婚。父はアル中で、母は精神の病で、共に施設で死亡。独り残された彼は、どん底に喘ぎ、孤児院を転々とした。生きるために理髪屋・印刷工・ガラス職人などなど転職を繰り返した。14歳の時、たまたまミュージックホールでのチョイ役で出たパントマイム劇でスカウト。その後、大スターへと駈け上がる。ハリウッド映画での活躍はご存知の通りです。
しかし、アメリカ政府はチャップリン映画の社会に与える影響力を恐れた。共産主義のスポンサーに違いないと疑い、イギリス政府へ素性調査を依頼したわけです。結局、詳しく調べたが何もかもが不明だった。彼は一体誰だったのだろうか。何者だったのか。彼の心の闇に潜んでいたヒトは誰なのか。謎が謎を読んでいます。敷地内に彼専用の小屋を立て、好き勝手に住まわせていた程ですから、家主ハーストはチャップリンとかなり親しかった。同じユダヤ系の祖先だったことも理由の一つ。大富豪でありながら成り上がる前の素性が謎に包まれていること、共に少女好みの性癖を持っていたことも類似している。
トレードマークの窮屈な上着にダブダブのズボン、黒い口髭、山高帽と竹のステッキにドタ靴という独特のチャップリン・スタイル。パントマイムで笑いと涙を、そして、皮肉った社会への怒りを心に届けてくれました。何はともあれ、代表作「タイムライト」のラストシーンでの台詞が大好きです。