2010年5月21日金曜日

ヒトの祖先はどこから来たのでしょうか



4月下旬、オーランド(米国フロリダ)にいました。4月19日早朝、曇り空をジッ~ッと見上げていました。が、何も聴こえません。実は、スペースシャトルが大気圏内に突入する時、雷が落ちるような音が二度ドンドンと聴こえるらしい。そこで、意気揚々、上を見上げていたのです。しかし、その日は天候が思わしくなく、突入は翌日(4月20日)へ延期。ラストランとなったそのスペースシャトルで地球に戻ってきたのが山崎直子さん。日本人初の女性宇宙飛行士です。

メディアに出っ放し。彼女はまさに"時の人"です。地球に戻って一番感じたことはナニ…との質問に「"重力"ですネ」と「頭に漬物石が乗ったような感じでした」とのこと。では逆に、宇宙で一番感じたことは…との問いに「上下左右の区別が全くない"無重力"の面白さですネ」とのこと。そして、ヒトの生命の根源を感じたと言っていました。

ヒトは60兆余の細胞から成り、その生命の誕生は謎に包まれています。分かっていることは30億年のDNAの歩みをヒトはどこかで記憶していることです。ヒトはサルから進化した。それホントだろうか。ヒトは水棲哺乳類の一種として進化したのではないか・・・と言った見方があります。宇宙へ行くとそれがハッキリ分かるのかも知れません。宇宙に行かなくても、例えば、地上の中の最も身近な宇宙とも言える「水」へ入ると少しそれが分かるような気がします。何故ならば、重力から解放されると心も体もホット一休み。不思議な感覚が蘇ってくるからです。

2010年5月19日水曜日

ピューリッツァー賞の写真現場に立って


報道写真の頂点、ピューリッツァー賞の写真はどれも強烈で衝撃的です。その一枚、1973年、賞に輝いた写真。ベトナム戦争です。修羅場を背景に幼い少女が裸で逃げ惑う。ナパーム弾で大火傷した少女。世界中がベトナム戦争反対へと一気に動き出す超有名な一枚です。

この写真には後日談があります。その時、カメラマンは写真を撮った後、重症の少女を病院へ搬送。少女(当時9歳)は一命を取りとめ、14ヶ月の入院中17回の手術を受けた。その後、身寄りのない少女はカナダへ。養父母のもとで大学進学。結婚。二児の母親となり、国連・ユネスコの親善大使へ。反戦主義のシンポル的な存在として活躍した。

そのカメラマンは38年ぶりに"少女"(今は47歳)と再会した記事が新聞に載っていました。

ベトナム戦争が終って30年目、2005年2月、知人のアメリカ人(ベトナム戦争に参戦した兵士たち)と一緒に持参した自転車でイントシナ半島を縦断する旅をしました。2週間で1200キロを走破。大変でしたが生涯思い出に残る貴重な体験でした。目的地ホーチミンシティー(旧サイゴン)に近づいたある日、例のピューリッツァー賞の撮影現場に立ち寄りました。その場所からその方向を観た写真です。のどかな田園風景が広がり、30年前、そこが修羅場だったとはまったく感じられませんでした。写真の少女の手前にいる少年の縁者が経営するレストランがあり、そこで昼食を取ったのですが、大きく引き伸ばされた例の写真が壁に掛けられていました。

その数日前、ソンミン村虐殺事件の現場となった場所にも立ち寄りました。今は村全体が国立戦争博物館となっており、あの日のままの状態で保存されていました。元米兵の知人たちは目を潤ませ、案内役(元ベトコン兵)の説明を熱心に聞いていました。帰りの道程、いつも陽気な彼らは誰も一言も話さず、ただ黙々とベダルを踏んでいました。

2010年5月18日火曜日

遅ればせながら始めました


数年前、イギリス人から「日本人はブログ大好きで人口数よりブログ数が多いって聞いたけどホント?」と聞かれたことがあります。 そんなハズはないと思いつつも、もしからしたら、そうかも知れない。何故ならば、周囲で「ブログはじめました」というヒトが実に多い。一人で二つ三つのグログを持っている人も珍しくないらしい。

最近では"ツイッター"とか言うミニブログのこともよく聞きます。一日数回、メール交換するのに似ているのかナ・・・。四六時中、その"つぶやき"(?)とやらをやり取りしているらしい。そんなに急いで伝えねばならない話しがあるのだろうか・・・。不思議です。そして、電車の中でもズーッと携帯とニラメッコしているヒトが多い。何か不気味な感じがします。

情報の質(?)はさて置き、とにかく量だけは加速的に増え、何が大事で何か大事でないのか。情報の質がどんどん分かりにくくなっている。が、しかし、これは決して悪いことではないように思います。きっと、
より良いことの方が多いに違いありません。 そこで、かなり遅ればせながら・・・ですが、ブログを始めることにしました。どうなることやら・・・。

取り急ぎ、ごあいさつまで。