2015年2月19日木曜日
戦前戦後の大スターの陰陽にいた二人の日本人
喜劇王チャリー・チャップンの秘書、日系移民のTora Takano(高野虎一)。チョットした縁でチャップンの運転手となる。仕事への真面目な姿勢。一途で下向きな努力が気に入れ、後々秘書となり大スターの名声を陰で支えた。
彼への信頼からか、一時、チャップリン邸のスタッフ全員が日系人だった。その後、浪費家だったとなれる当時の妻ポーレットとの対立。辞職。戦時中はスパイ容疑で逮捕。その後、モンタナ州の日系強制収容所へ。戦後は日系人の市民権回復運動家のリーダーとして活躍した。
が、チャップリンが国外追放後(1951年)。高野は帰国。故郷広島で片田舎でひっそり暮した。1971年没(享年86歳)。
もう一人はビートルズのリーダー、ジョン・レノンの妻Yoko Ono(小野ヨーコ)。ビートル解散の原因の一つが彼女とポール・マッカトニーとの不仲説。あるいは音楽クレジットのトラブル説など諸説ある。前衛芸術家でもある彼女の個性が大スターに影響力を与えた。
媚びない生き方。凛とした東洋的な精神力も彼女の大きな魅力。米国NYで過ごした最後の5年間の日々。ベトナム戦争への反戦運動が有名です。
戦前のチャリー・チャップリン、戦後のジョン・レノン。二人の大スターに共通するのが<反戦・愛・平和>への影響力の大きさ。これが原因で二人ともアメリカの永住権を巡り、米国政府との攻防があったことは広く知られています。そしてチャップリンの「陰」となったTora Takano、レノンの「陽」となったYoko Ono。こんな日本人がいることを私たちは忘れてはならない。
2015年2月4日水曜日
若き人へ ヒトはどう生きるべきか 感動のメッセージ
NHK大形ドラマ『花燃ゆ』。激動の幕末の思想家・吉田松陰の妹の物語です。
数多くの志士を輩出した私塾(松下村塾)を主宰した吉田松陰。わずか2年半しか教えていません。が、若き人々へ生きる本質を教えました。素晴らしいメッセージが今も数多く残っています。例えば…「学は人たる所以を学ぶなり」(学問とは、人間とは何かを学ぶものだ)「志を立ててもって万事の源となす」(志をたてることが、すべての源となる)…など。
現代にも吉田松陰と同じ素晴らしいメッセージを若き人々へ伝えたヒトがいる……と物知りの友人から聞きました。3・11の影響で中止となった高校の卒業式。その卒業生への校長先生の言葉。「生きる本質」を伝えた感動的なメッセージです。知人いわく<コレは今や超有名>とのこと。ですから、既に知っている方も多いのかも。もし、まだ知らないのでしたら、ぜひ、一度、読んでください。
モラトリアム(moratortum)と言う言葉があります。ヒトが成長する時、一旦立ち止り、自分を見つめる。若者が一人前の大人になるための猶予。ボンヤリ大人になってしまうヤング。世間の「風」に受け、初めて思い知られる。ヤングに留まらず大人になれないオトナも結構多い。情報や知識や見栄や体裁に惑わされることなく本当の自分を探し求めて欲しい。頑張ろう。諦めるな。
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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。校長先生からのメッセージ 2011.03.24
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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司
数多くの志士を輩出した私塾(松下村塾)を主宰した吉田松陰。わずか2年半しか教えていません。が、若き人々へ生きる本質を教えました。素晴らしいメッセージが今も数多く残っています。例えば…「学は人たる所以を学ぶなり」(学問とは、人間とは何かを学ぶものだ)「志を立ててもって万事の源となす」(志をたてることが、すべての源となる)…など。
現代にも吉田松陰と同じ素晴らしいメッセージを若き人々へ伝えたヒトがいる……と物知りの友人から聞きました。3・11の影響で中止となった高校の卒業式。その卒業生への校長先生の言葉。「生きる本質」を伝えた感動的なメッセージです。知人いわく<コレは今や超有名>とのこと。ですから、既に知っている方も多いのかも。もし、まだ知らないのでしたら、ぜひ、一度、読んでください。
モラトリアム(moratortum)と言う言葉があります。ヒトが成長する時、一旦立ち止り、自分を見つめる。若者が一人前の大人になるための猶予。ボンヤリ大人になってしまうヤング。世間の「風」に受け、初めて思い知られる。ヤングに留まらず大人になれないオトナも結構多い。情報や知識や見栄や体裁に惑わされることなく本当の自分を探し求めて欲しい。頑張ろう。諦めるな。
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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。校長先生からのメッセージ 2011.03.24
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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司
2015年2月2日月曜日
I AM KENJI ご冥福を祈ります
■どうか無事で帰ってほしい。「イスラム国」に拘束されている後藤健二さんへの祈りを込めて“I AM KENJI”(私はケンジ)と掲げた写真。世界中に投稿の輪が広がっています。
中近東の国々の国境線は直線が多い。いかに砂漠の国々とはいえ変だ。第一次世界大戦でイギリスが、第二次でアメリカが、それぞれ“国益”を守る意味から都合の良い線を引いだだけ。「イスラム国」はテロリストたちが“国家建国”(?)。彼らの上層部は旧イラク・フセイン時代の官僚たちとの噂。日本人がテロの標的になるとは想定外な出来事です。テロリストたちの残虐さ、そして交渉術に長けた狡猾さ。中近東がドロ沼化した原因の一端はイギリスとアメリカにある…ちょっと言い過ぎですかネ。
■イスラエルの知人から緊急メール(1月29日夜)。 “FREE KENJI” 万歳か…!?
To His Majesty King Abdullah II of Jordan: Free the two ISIS hostages Kenji Goto and Mu'ath al-Kaseasbeh.~親愛なるアブドゥラ二世国王陛下: イスラム国に囚われた後藤健二氏とムアーツ・アルカサスベ中尉の解放を~。
ヨルダンへ心から感謝(?!)。本当ならイイね。本当か…デマか…。デマでない事を祈ります。ネットで見る限り「解放」の字は見当たりません。3名の“人質”ともに安否不明とのこと。国境へ移動中かも・・・(?) Free Kenji... 無事を祈りましょう。
そして、2日間、沈黙が続きました。てっきり交渉中か(?)。。。 しかし、突然、Kiilled Kenji .なんと言う結末なのか。ショック。ご冥福を祈ります。合掌
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■I AM KENJI (facebook より転載)
後藤さん。今はただ、あなたが天国で安らかに眠ってくれることだけを祈っています。
今回の事件で、世界中の多くの人々がまた「イスラム国」の残忍さや卑劣さを思い知ることになりました。しかしその脅しに怯えたり、また逆に殺害した連中を敵視したりしても、そこからは何も生まれてきません。憎悪が憎悪を呼ぶだけで、それこそが「イスラム国」が狙っていることです。ぼくたちに憎悪や敵意を抱かせ、敵対心を増幅させることで、世界中にまた彼らに賛同するテロリスト分子を作り出そうとしているのです。
もちろん「イスラム国」がこれまでも今も行っていることは決して許されることではありません。彼らの行為はなにがなんでも非難され、その罪は償わなければなりません。と、同時に、これまであなたが伝えようとしてきたことや、あなたの変わらぬ尊い意志をぼくたちは受け継いでいく必要があります。それは、今回の事件の残虐非道さだけに目をやるのではなく、どうしてこのような行為が行われたのか、「イスラム国」のような怪物がどうして生まれることになったのか、その根本にあるものを、ぼくたちはよく考える必要があるということです。
後藤さん、あなたがイスラム国に向かう直前の最後のビデオ・メッセージの中で言っていたことは、『何が起こっても責任は私自身にあります。どうか日本の皆さん、シリアの人たちに何も責任を負わせないで下さい』ということでした。ぼくたちはあなたの死を、誰のせいにもしてはいけないと思います。たとえ『イスラム国』の人間であってもです。ぼくたちはあなたの死を、憎しみと悲しみだけで捉えてはいけないということだと思います。
あなたはクリスチャンでしたが、きっとあなたの行動には神の思し召しが働いているのだといつも感じていました。あなたが本当に最後まで、命を掛けてまで伝えたかったのは、人間の愛だと思います。弱い人たちや、虐げられている人たち、苦境に暮らす子供や女性たちへの共感の哲学だと思います。
ですから、今こそあなたのために心から祈りを捧げたいと思います。世界中の人たちが憎しみ合うのではなく愛し合い、助け合い、そして平和で争のないときが一日も早く訪れることを。
2015.02.01
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