2011年12月16日金曜日

サンタクロースってほんとうにいるの?!


もし幼い子から「サンタクロースってほんとにいるの?!」と聞かれたら、あなたならどう答えますか。そんなの<いないに決まってるだろう!>と言うか<絶対いるよ!>と言うか。そして、その子から「なぜ、そうなの?」とその理由を聞かれたら、どう答えますか。思案のしどころですネ。何故ならば、これはあなたの物事に対するパラダイム(見方や考え方)を問われているからです。

100年ほど前、『The New York Sun』というNY新聞社へ届いた1通の手紙。当時8歳の子から同じ質問が寄せられました。この新聞社はこの質問にまじめに答えます。それも社説で取り上げたのです。
こんな大切な質問を寄せてくれてありがとう。私たちを信頼してくれたからだと思います。とても嬉しいです…云々
…で始まる短い文章(Is There A Santa Claus?)での社説は大変な反響を呼びます。後々、一冊の本となり、ブロードウェーのミュージカルとなり、ハリウッドで映画にもなります。今でもクリスマス・シーズンになるとアメリカのあちこちで取り上げられ、人々に語り継がれる古典的なストーリです。社説を書いた記者は次のように答えました。要するに…

サンタクロースなんていない…と言うヒトは間違っている。目に見るものしか信じないというヒトはいるが、そのヒトは心が狭く、疑い深い。心の狭いヒトは、よく分からない事はみんなウソだと決め付けてしまう。しかし、私たちの頭で考えられることはとても限られている。所詮、人間の知識や知恵はチッポケなものでしかない。世の中のことを全て分かることは不可能。人間の心には「愛」や「思いやり」や「真心」がある。そんなモノは目に見えないのだから信じられない…と言うヒトがいるのなら、その人の見方や考え方はおかしい。それと同じことでサンタクロースなんかいないと言う人の考え方はもともと間違っている。世の中には愛や思いやりや真心で満ち溢れている。だからこそ生きることは美しく・楽しく・素晴らしいのだ。

もし、サンタクロースがいないと言うなら、この世の中は暗く、実につまらない。くだらない世界だ。サンタクロースは絶対いなければらないのだ。何故ならサンタクロースがいるだけで、人生の苦しみや悲しみを和らげてくれる。だた目に見えるモノ、手で触れるモノ、感じるモノだけでは人間は決して生きてはいけない。信頼や想像力や詩やロマンがあり、愛や思いやりや真心があるからこそ、生きてゆく価値がある。それが力となり、光となるのだ。サンタクロースはちゃんといる。いつまでもいる。一千年後も、百万年後も、人々の心の中でサンタクローズはいまと変わらず、生き続け、人々を喜ばせてくれるに違いない。

このような文章で結ばれています。この本(サンタクロースっているでしょうか)は日本語にも訳されています。興味ある方は購入してみてはどうですか。出版社は偕成社。自分のパラダイムを問い正すよい機会になるかも…。なにはともあれ…

A Merry Christmas to you!

2011年12月14日水曜日

朝鮮問題を解決する2つのニューアイデア


韓国ソウルへ行ってきました。軍事境界線の地下にある北朝鮮が掘削した第3トンネルを見学。正式には「非武装中立地帯」、DMZ(Demilitarazed Zone)です。国境線ではなくあくまでも休戦ライン。ベトナムなき今、世界で唯一の休戦ラインです。DMZは南北にそれぞれ幅2キロつづ(計4キロ)、東西に約248キロ。このエリアに北朝鮮はトンネルを計4つ掘削した。その一つで最も大規模なのが第3トンネル。地下73mに長さ1.6キロ、幅2m、高さ2m。完全武装の兵士3万人が1時間以内に移動できる。1978年に発見され、今では観光地化されています。ソウルからたった52キロの地点にこんな場所がある。朝鮮民族が分断された厳しい現実です。1990年、ベルリンの壁が崩壊。東西ドイツが統一された。が、両ドイツ間の経済格差は未だに大きい。経済格差は東西ドイツの比ではない南北朝鮮ですから、この現実を踏まえ、圧倒的に豊かな南としては、統一時に必要な莫大な財政負担を今から準備しています。消費税の一部をプールしているのです。今回、韓国で聞いたことですが、北は今となれば南との統一は望んでない(南とて同じでしょうネ)。で、貧しい北としては中国に"身売り"することを考えてる…というのです。アッと驚くサプライズです。つまり、アラスカがアメリカへ"身売り"したように…です。アラスカはアメリカ合衆国の48番目の州ですが、1867年、ロシア帝国から売却された土地です。それも何と1エーカーたったの2セントで売却された。これと同じようなことが北朝鮮で起きるかも知れない…という。もっともゴリ押し上手な北の"キム帝国"のことですから、ミサイルや核を効果的にチラつかせながら、粘り強くドロドロの交渉をするに違いない。そして、売却金をジリジリと吊り上げてゆくことでしょうネ。


もう一つ、ソウルで訪れたのは「戦争記念館」(The War Memorial of Korea)。朝鮮半島という地理的な条件から異民族の侵略を何度も経験した。その戦争と軍事を集大成した殿堂です。日本はこの分野では特に深いかかわりがあります。例えば、古くは大和朝廷の任那に始まり、文永・弘安の蒙古襲来、豊臣の文禄・慶長の役、日清・日露での戦勝地、そして悪名高き昭和の日韓併合。展示物の中には旧日本軍の侵略品が数多くありました。最も広いスペースを占めていたのは朝鮮動乱での品々です。北朝鮮軍の侵略品も数多く展示。2010年3月に起こった天安艦沈没事件。北朝鮮軍の半潜水艇の残骸も展示してありました。

小耳に挟んだ話。それは手付かずの自然林があるDMZ。今では数多くの渡り鳥の休憩地になっているとのこと。このエリアをユネスコの自然遺産へ登録しようとする動きがあるとのこと。北の"身売り"といい、DMZの世界遺産といい、現実味のない話しかも知れません。が、現状打破の糸口の一つ。何も動かない今よりは少しマシです。朝鮮半島の悲劇の背景には私たち日本人が少なからず関与しているのですからネ。遠い昔の出来事として知らぬ顔で通り過ぎることはできません。そして、横田めぐみさんも怪人21面相も闇の中へ消えさせてはいけないのです。

2011年11月25日金曜日

TPPという名の黒船の来航


近頃、同窓会と称する"飲み会"が増えています。私は仙台のど真ん中で生まれ育ちました。戦後生まれの"団塊の世代"ですから同級生がやたら多い。中学校では1学年が10組。一組に60~70名はいたので総勢700名ぐらいだと思います。幹事の話だと在京者はそのうち約10%ぐらい。多くの同級生は今でも仙台在住とのこと。3・11で被災したヒトもいる。今回、在京メンバーの世話役が横浜在住者だったので、会場はビール発祥の地となった関内の地ビール・レストランでした。幼馴染と会い・語り・飲む。それから横浜旧市内をブラブラ散歩。山下公園からシーバスに乗り、横浜駅で解散しました。

ビールに限らず関内周辺にはパンやアイスクリームなど西洋食品の発祥の地が多い。その訳は西洋人が多く住んでいたから。今も地名として残る"関内"という言葉の由来は西洋人の居留地の内側だった処。その外側にあったはずの"関外"は地名としては残っていません。関内には幕末から明治に掛けての文明開化の記念碑がそこかしこにあります。例えば、日本画を完成させた岡倉天心の生誕の地に建つのが開港記念館。その近くには勝海舟の仮住まい跡。勝邸には用心棒として居候していた坂本竜馬も住んでいた。多分、二人が闊歩したであろう日本大通り沿いには日米和親条約締結の地があります。

ペリーが黒塗りの軍艦4隻で浦賀に来航。その2年後、象のハナのように「横」へ「浜」が延びていた小さな漁村で通商条約が結ばれた。200年続いた鎖国がついに終ったのです。それが横浜の始まり。アメリカ・イギリス・ロシア・オランダから一斉に西洋人が押し寄せ、貿易港として横浜は活気づいた。何と10年間で人口が10倍になったというのですからその勢いが解ります。対等のはずの通商条約は名ばかりで領事裁判権もなく、関税自主権もない。不平等で不利な条件ばかり。この条件を回復するのに長く辛い歳月を要した。何と50年もかかった。回復できた理由は、大国チャイナとロシアを相手に絶対絶命の戦いを挑み、日本が勝利したからです。

その時代とは環境や次元が異なるとは言え、同じ通商条約の枠組み問題でいま日米は揺れています。日本政府は幕末の頃ように"開国"か"鎖国"かで賛否両論。議論伯仲しています。例のTPP(Trans-Pacific Partnership)問題です。正式には「環太平洋戦略的経済連携協定」と言うのだそうです。訳の解らない用語です。要するにアジア人口40億人の経済の成長力と市場性をリードするのはどの国か。東シナ海のリーダーシップは誰が握るのか。アメリカか中国か。勿論、TPPを発案したアメリカの強い思惑が見え見えです。ハッキリ言って日本の立場は弱い。横浜開港時とあまり変わっていません。変わっているのは隣国(中国・韓国)の状況です。日清・日露の発火点となった韓国ですが、今は劇的な程にパワーアップしています。今の日本は韓国のリードで歩調を合わせ、アメリカに従う以外に「道」は残っていない。それが現実なのです。イニシャティブは日本ではなく韓国にある。無責任なリーダー交代が続いている間に逆転してしまった日韓関係の立場の違いをガラパゴス人はよく認識していないようです。

50年前、眩しかった少年たちは歳相応にシワが目立つ老け顔になっていました。元少年たちがビールを呑みながら話すのは趣味のゴルフや釣、そして自慢するのは孫のこと。いずれも私には縁のない話しでしたが、楽しい午後の一時でした。

2011年11月10日木曜日

カネに群がるヒトたちの思惑


バブル崩壊の前夜、日本人が好景気に浮かれていた頃の話しです。知人の美人フィットネストレーナーの顧客の一人がたまたま日本人だと言うだけの理由でラスベガスで紹介された方がいます。その方は在米30数年。当時、名門ゴルフ場付き一流カジノ・ホテルの副社長でした。物腰が柔らかで上品な方。好感度抜群。その方は年に数回、東京に来ていました。定宿(一流ホテル)から電話があり、高級日本料理店で夕食をご馳走になったこともあります。ある時、ラスベガスのカジノのバックヤードを案内してくれたこともあります。映画の一シーンを観ているような場所でした。一晩で巨額のお金を平気で使う日本人がいること。そして、彼の仕事はそんな上客の"子守役"であり、気持ちよくおカネを使わせ、日本で集金する役目も負っていたらしいこと。カジノ側にはCIAも参考にする各国の富豪者リストがあること。カジノで豪遊するそれらの人々の性格・趣味・習性・性癖など、ありとあらゆく個人情報が詳しく分析管理されていること。など耳や目を疑う内緒の話しを冗談交じりで語ってくれたことがありました。

何と当時聴いたような話が最近マスコミで報道されました。つまり、ティッシュペーパーで大ピットした四国の製紙会社。その創業者一族の"御曹司"。東大法学部卒のエリート後継者。そんなヒトのラスベガスでの豪遊沙汰。一晩で数千万円。湯水の如く使った総額は80億円。その穴埋めを関連会社から無担保で借り入れ、多くは踏み倒している。耳を疑うようなそんな事実が今も面々と続いているわけです。その御曹司にはきっと子守役の"プロフェッショナル"が付き添っていたことでしょう。

そして、東京一部上場の名門会社。日本を代表する精密機器カメラ会社のトップたちが長年してきたマネーロンダリング。巨額な投資損失の隠蔽工作です。それも突然解任された元社長のイギリス人の"内部告発"で明るみに出たというのですからお粗末な話しです。どうもお金の流れ方が"暗黒街"の人々が得意とするケイマン諸島を経由の手口。だから米国のFBIが動き出した。今の日本はどうなっているのでしょうか。政治家や高級官僚だけが"変"なのではない。財界人も"変"。国家の舵取りをするエリートたちがおかしい。この先、この国はどうなってゆくのでしょうか。

さて、冒頭に記した日本人副社長はその後、解任。ある時からピッタリ消息を絶った。その後、お会いした人はいないとのこと。間も無く、ラスベガスで大物政治家が大金を賭博につぎ込み、その返済を右翼の大物フィクサーが行ったことが明るみ出ました。思い返すとあの頃を契機にラスベガスの変貌が始まった。つまり、男性が悦ぶ怪しげな歓楽の街に別れを告げたのです。今は家族で楽しむエンターテイメントの街です。ワタシ的にはあの頃のラスベガスが好きなんですがネ…。

2011年11月2日水曜日

「あ」と「う」と「む」の間に真理がある?!


インドではどこでも見掛ける奇妙なマーク。あれはナニ?と聞くと、OM(オーム)だと言う。ナニ?!…聞き覚えのある音です。まさかあの…。ヤッパリそのオームでした。聞けば聞くほどオームの講釈が長くなる。難解な意味です。正しいのか否かは分かりませんが、私の解釈では<概念を越えた偉大なもの>のようです。創造・維持・破壊という宇宙の輪廻の象徴。そんなことを知人は熱心に説明してくれました。内心では"だからどうしたのか?"と言いたかったのですが、そんな質問をすれば、場が白けそうだったので、首を大きく振り頷きました。

南インドの古都ポンディシェリーの大小様々なヨガ道場ではどこもクラスの開始時と終了時にマントラのように全員でオームを唱えます。「ア」でもなく「ウ」でもなく「ム」でもない。その中間にある不思議な音です。車座になり、道場内に人々の音が長く響き渡ります。異様な雰囲気でした。「オーム」は宗教での呪文とは違うらしいのですが、キリスト教の「アーメン」、イスラム教の「アミーン」、仏教での「南無阿弥陀仏」などと同じような雰囲気を感じました。

そんな壮大なシンボルマークと表音を名称にした身の程知らずのカルト教団が日本にあった。16年前、東京のど真ん中で地下鉄でサリンを撒いた人々。その背景になった弁護士一家殺害や松本サリン事件を引き起こした不気味な若者たちです。189人が起訴され、うち13人に死刑判決が下りました。結審。被害者にとっては長過ぎた日々がやっと終結します。あの悲惨な事件に巻き込まれた謂れなき多くの人々。空しさだけが残ります。あの事件は一体何だったのだろうか。どんな意味があったのか。あの不気味な人々は今後どうなってゆくのだろうか。不可解な出来事です。座禅を組み、心静かに目を閉じ、「ア」でもなく「ウ」でもなく「ム」でもない、その中間にある微妙な音を唱えてみれば何か分かるかもしれません。何せ永遠の真理を表す音なのだそうですから…。

2011年10月9日日曜日

あのヒトは 今頃、ソクラテスと会っているかも。56歳、逝く。


アメリカ人の大好きな劇的な生き方をしたヒト。伝説的なカリスマリーダー、スティーブ・ジョブス(Steve Jobs)が他界。享年56歳。ご存知、マウス機能付きPC時代を拓いたヒト。アップル社の共同創業者。だが、権力闘争に敗れ、退社。その後、業績悪化したアップル社のトップに返り咲き、iPhonやiPodでV字回復。スマートフォーン時代を拓いたヒト。時下総額世界一の企業へ。アメリカでしか誕生し得ない特別なヒトです。

日本のMac愛好者は別だが、彼の評判は日本ではあまり良いとは言えない。その理由は、訪日した時の日本トップ企業のリーダーたちの印象を“死んだ魚”(dead fish)と米国某有名誌に語ったのが原因の一つ。彼は、欲深い人々の見えすぎた"歓迎ぶり"を称して《日本人は死んだ魚のように岸に押し寄せ、海岸を埋め尽くした》と表現したからです。加えて、出国時に空港係官との問答の中で《こんな国二度と来ない》と言ったとか言わないとか…。真意の程は分かりませんが、利己的で損得を第一義とする思考性。哲学なき知識人たち。そんな品格に欠けた今の日本のリーダーたちに彼は失望したのだと言われている。

かつての日本はSONYやHONDAが生まれ育った国。その国のトップたちは市場の創造や技術の革新に関して誇りと勇気を持っているに違いない。彼はそう思っていたのかも知れません。それが今の日本は浅ましくも利害優先。確固たる哲学も主義主張もない。リスクを負わずに金儲けしたいだけ…。まるでウォール街に掃いて捨てる程いるトレーダーたちと何ら変わり無い。その程度の人々…。そう感じたことが"死んだ魚"という辛辣な言い方になったでは…。言われて見れはその通りですからそのレベルの人々はマジで“ムカついた”と言うわけです。

個性的なパーソナリティー。世界屈指の大金持ち。本質を見抜く鋭い心眼力。だから彼の言動を世界が注目した。数々の名言集が出版された。その中でも最も有名な言葉が…

Stay Hungry, Stay Foollish 貪欲であれ・バカであれ

彼はスタフォード大中退なのですが母校卒業式での祝賀スピーチで述べた最後の一言です。この前段で彼はこうも述べています。これも名言の一つ。すなわち…

君たちの時間は限られている。だから他人の誰かの人生を生きる時間などない。定説(ドグマ)にとらわれたり、多数派のどうでもいい雑音や考え方に惑わされたり、自分の内なる声に溺れたりしてはならない。自分の心や直感を信じ、本当の自分を捜し求め、勇気を持ってそれを実現すべきだ。

もっとも美しい彼の言葉として知られているのが《もしソクラテスと一日だけ午後の一時を共に過ごせるなら、私の全てを捧げても良い》。自分に正直に生きたヒト。妥協を許さず、自分を信じ、考え方を貫いたヒト。そんな彼はソクラテスになら何か聞いてみたいことがあったのかも知れません。きっと今頃は天国のどこかのカフェで隅の小さなテーブルに二人で座り、楽しげに語り合っていることでしょう。スティーブ・ジョブスの生き方や考え方は世界中の若者たちに末永く語り継がれることでしょう。合掌

2011年10月5日水曜日

地上最強のパワースポットで感じたこと


南インドで2週間暮らしました。インド第3の都会チャンナイ(旧マドラス)から150キロ南下。旧フランス領のお洒落な街ポンディシェリー(Pondicherry)の郊外。”マトリ・マンディール”という瞑想ホールがあり、それを中心にした巨大なコミュニティーの街オーロビィル(Auroville)で暮らしました。この街はインドのイメージとは大違い。住民の多くが欧米人。その理由の一つが街の中心にある瞑想ホールにあるのだそうです。ハリウッド映画で大ピットした『未知との遭遇』でも撮影シーンの一コマになった神秘的な建築物です。40年前に建造されたとのこと。この街はインド独立運動のリーダーの一人、オーロビンド・コーシュといる哲学者と後継者ミッラ・アルファッサ(フランス人女性)とが建設した理想境とのこと。知人の計らいで瞑想ホール内部に立ち入ることが許可され、瞑想する機会を得ました。チョット不思議な体験でした。

ホール内部は小規模ビルがそっくり入ってしまいそうな巨大な空間。天井から一筋の光が注がれ、壁面に人々が二重に座り、瞑想する。静観と沈黙が響き渡っていました。始まってからどの程度時間が経過したのか…。私は両肩がやや重く感じ、前傾ぎみになり、立て直そうとしても出来ない。変な感じでした。間も無く、床面が微妙に揺れ動く感じがしてきました。弱い<地震>か…と思ったほどです。薄目を開けて周囲の様子を観察してみたのですが、特に変化はない。その内、軽い頭痛が生じ、後頭部を後ろに引かれるように感じました。これまでに経験したことのない不思議な感覚でした。やがてホールに薄明かりが指し込み、人々が立ち上がり、終りました。外部に出たら心身共にスッキリ。これが瞑想の効果なのか…と実感しました。

これまでにオーロビィルの街には何度もUFOが到来しているらしい。宇宙とチャネリングをした経験者がたくさんいるとのこと。科学者や哲学者がミッションを受けて欧米から移り住んだ人々も少なくないとのこと。何かと懐疑的な私を見て、知人が熱心に説明してくれました。例えば、電気の存在を否定する人は今はないが、電気の存在は150年前に知ったに過ぎない。電話だって同じコト。今では世界中の人々が普通に携帯で話し合っている。この光景を100年前の人が観たら全く理解できないであろう。あと100年もすれば宇宙との交信を疑う人がいなくなるであろう…などなど。言われてみればその通り。現在の科学の基本である光の速度。それが否定される時代。つまり、光より速い物質の存在が解りかけている。やがて「ドラえもん」のように瞬間的に空間移動できるかも…。アインシュタインの理論が矛盾する時代がすぐそこまで来ているからです。目に見えるものだけ…科学で証明されたものだけ…を信じるのはその人の知識や見識の狭さに由来する。知人の話を聴きながら、自分の見方の弱点を痛感しました。 不思議な国ですネ。インドは…。

2011年8月25日木曜日

若干一人 決断できる日本人の生存を確認

政権交代から3人目となる内閣総理大臣(首相)が近々誕生します。平成になって17人目とのこと。唯一、小泉政権のみ5年間だったので他の15人はそれぞれ1年前後だったことになります。全員が若葉マークの初心者ですから、結局、取り巻き陣(高級官僚)の言う通りにするだけ。反論も提案も出来るわけがない。政権交代時に「予算枠を組み替えれば年13兆円は捻出できる」と言い切った意味は何だったのか。積算の根拠になった数字は何だったのか。何の説明もないのですから不思議です。そして、大騒ぎした事業仕分け。その割りにはカットできたのは数百億円だけ。巨悪な大物は無傷で温存。小物のみカット。お陰でメタボ予防やバイオマス(生物エネルギー系)は仕分対象となり推進は頓挫しました。あの時、天下の宝刀を振るった冷血な仕分人たちは今どこで何をしているのでしょうか。陰が薄い。何と仕分け人の中にはその後、経済犯の被告になったヒトもいました。カッコ悪いネ。とは言え、彼らに政権を託したのは他ならぬ私たち。そして、1年後には衆参で"ねじれ"を生じさせたのも私たち。国会の四大重要機能、①行政の施行、②法律の執行、③条約の締結、④予算の作成、はマヒ状態へ。そして決定的な大ダメージとなった大震災と原発事故。何もかもが手詰まり状態での内閣総辞職です。こんな国にしたのは私たちです。彼らだけではなく私たちも変な進化をしたガラパゴス人だというわけです。

TV画面にテロップが流れました。また余震か…と思いきや、芸能人の引退(!)でした。何と暗黒街の"帝王"が背景にいる事が理由で芸能界の"帝王"が電撃的に引退。その独演会を生中継。TV報道番組がトップで流したニュースでした。信念が曖昧でケジメのない日本のトップ。グズグズ・ダラダラと勝手な言い訳ばかりする平成のリーダーたち。そんな今の日本社会の中で<決断できる日本人がついに出現した!>という皮肉った意味でのニュース価値があったのかも知れません。が、40数年の独裁だったリビアのカダフィ政権崩壊、米国に次いで日本も国債格付けラクンダウン、党員資格を剥奪しておきながら状況が変化すると次々と次期総理候補が擦り寄る滑稽な光景。そんなニュースよりも大きく報じられました。

辛口コメントで楽しませてくれた"帝王"の絶妙なトークがもう聴けないのかと思うとチョット寂しい。なぜ数年前の出来事をいま問題にしなければならなかったのか。その陰にある本当の理由は…(?)。芸能界を退くことで直近の何らかの刑事責任が免除されたということでしょう。くあばら…くあばら…。

2011年8月20日土曜日

悲しすぎる3つのシナリオ



東日本大震災で被害し、就学援助が必要な小中学生が4万4千人。補正予算額113億円が既にパンク状態だと言う。大緊急積増計上が必要とのこと。これも想定外だったということ(?)…。今頃になって「解った」とは何事ですか(!)。目玉公約の"子ども手当"を将来的に少し見直しだけ…修正継続するだけですから…。イヤ違う公約を取り下げ"児童手当"に戻るだけect。そんな党利党略の話しばかり。そんな場合ではないでしょう。ウンザリです。

沖縄米軍問題で失言、辞任したヒト。ちょっと疑わしい日本通(?)ですが、前米国務省幹部の新刊本『決断できない日本』によると、震災発生後、数日間、日本政府首脳陣との連絡が取れなかったらしい。米国軍は空母を三陸沖へ停泊。連日、無人探索機を飛ばし、独自に福島上空を調査。原子炉の温度を観測した。直ぐに超異常な温度であることを感知。16日未明には核燃料がメルトダウン(溶融)したと判断。国連をはじめ原子力国際機関や日本政府へ通告した。が、しかし、日本側の反応はなかったとのこと。一時、米国政府は東京在住の米国人全員(約9万人)を半径50マイル(80キロ)圏外へ退去勧告することを検討したとのこと。著者は「日本は政府機関の横の連携がない。コニュニケーションが極めて下手」と記している。要するに国家危機管理能力の低さを痛切に指摘。この"数日間"の日本政府首脳陣の「対応停止」のパニック状態が決定的なダメージをもたらしたと言うことです。国家的威信を捨ててでも日本政府は米国軍の指揮下で緊急対応すべきだったのでは…と悔やまれます。

つい数日前、横浜駅ホームで電車待ちをしていました。近くにいた若いサラリーマン二人の軽い会話が小耳に入りました。面白いが悲しい話しです。
A:"ポスト菅"は誰になるのかナ?
B:そりや"菅"に決まってるだろう!
A:エッ?
B:"なでしこ"へ国民栄誉賞を贈り、ご本人は"ノーベル平和賞"を狙っているらしいヨ(笑)
A:それッどう言うこと?
B:いろいろ考えてるようだヨ。あのヒトは…(笑)
間もなく退陣なので今では"パロディー"ですがつい1ヶ月前ならマジの話。3ステップからなる通称『亡国のシナリオ』と称される内容です。新聞にも載ったので知っている方も多いはず。つまり、第1ステップは『ポスト菅は菅』。自分の近辺を若い議員だけで固めることで影響力をキープ。第2ステップは『脱原発解散』。郵政解散選挙で成功した先輩首相(小泉さん)を見習うことで勝利する。第3ステップは『ノーベル平和賞受賞』。3・11で同情的な国際世論を見方に自然エネルギーの重要性を訴えることで米国オバマ大統領の"二番煎じ"を狙う、という3つのシナリオ。ガラパゴス化した話しです。

フランスでのG8で<脱原発宣言>と<自然エネルギーへ転換>を強調したご本人。その直後にフランスの新聞に載った風刺画。ご本人の顔と思いきやどうみても麻生さん(前首相)の顔。その程度の印象しかなかったのでしょう。チョット悲しい話しです。脱核兵器宣言でノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領も財政面では大失敗。目玉公約の国民健康皆保健制度は審議入りすら出来ず、お手上げ状態。米国経済は低迷中です。国債格付けランクダウン。何とそのトバッチリが日本経済へ直撃しています。日本円がリーマンショック時へ逆戻り、何と1ドル75円台(!)。ポスト菅さんへ、国難の危機、問題山積です。覚悟してください。大変でしょうが、国家と民族の未来を第一義に考えてください。お願いします。

2011年8月11日木曜日

あの日から今年で66年目。原爆は2発、原発は3基だけ。


アメリカ・イギリス・ソビエトの首脳陣がベルリン(ドイツ)郊外で会合。日本に降伏を迫る屈辱的な13ヵ条を決めます。ポツダム宣言(1945年7月17日)です。日本は"黙殺"します。この黙殺(silence)を"無視"(neglect)と誤訳(?)。短気な性格だったとされる米国大統領トルーマンは"シカト"されたことに激怒。だから…かどうかは不明ですが一大決意。8月6日、広島へ原爆投下。3日後、長崎へも投下。広島で20万、長崎で12万。計32万人が死亡。その50%は爆風で、35%が熱線、15%が放射線で死んだと見做されています。長崎に投下されたその日、日本が<頼みの綱>として休戦斡旋を頼んでいたソビエトが急遽参戦。満州侵攻が始まります。

長崎から5日後、ボツダム宣言を受諾。翌日、8月15日正午、天皇の肉声による例の玉音放送がラジオで流れ、太平洋戦争は終結します。真珠湾(ハワイ)攻撃から3年10ヶ月。戦死した兵士200万、民間人100万人。300万人の日本人の命と2200億円の戦費(当時としては莫大な金額)を使い切り終焉。あの日から今年で66年目です。

66年後の今年も、被爆認定者3千人が亡くなっている。放射能汚染の根深さ、怖さを痛感します。原爆と原発とでは全く質量が違う。次元が異なる別問題だとされます。が、今年は福島原発事故があり、結果として日本は広島・長崎・福島と三度、放射能汚染を経験したことになります。

今日、世界には2万6千発の核兵器があるらしい。ビックリ。でも、ソビエト崩壊前(1980年代)のピーク時には何と7万発もあったと言うのですから、冷戦終焉で激減している。一方、原発はどうか。29ヶ国に計431基あるとのこと。ご存知の通り、日本は原子力大国。アメリカ、フランスに次いで世界第3位の保有国(54基)です。東日本大災害で日本の"神話"が次々に崩れていますが、原発はその象徴です。電気と産業は切っても切れない仲。エネルギーを使わずに経済だけを発展させることはほぼ不可能です。これから日本は『脱原発』と声高に言われています。太陽光他の自然エネルギーへシフトするとリーダーは言うのですが、言うは易し行いは難し。原子力と太陽光とでは生産力の桁が違う話しです。それを知りながら言うのは無責任。もっとも先輩リーダーも国連で「CO2を25%削減します」と大見得を切った矢先に"Give-Up"する国柄ですから、脱原発も世界は信じてないとは思いますがネ。現存する原発を再稼動しながら徐々にシフトするしかないのが現実ではないでしょうか。

原発世界一のアメリカはスリーマイル事故後、稼働率アップ。日本も福島原発事故を糧に稼働率アップへ。ポスト菅では現実的な議論をして欲しい。どうするニッホン。

2011年8月3日水曜日

未来のニーズを知る秘訣は何か


学生時代のゼミ仲間の一人が退職。渋谷で"ご苦労さん会"をしました。秀才でエリートコースを歩んだ彼はヘッドハンティングされ、現職は携帯デンワ部品メーカーの幹部。最後の牙城(?)だったらしい国内工場が円高で海外移転。これが退職の背景にあると聴かされました。晩婚でバツイチ。末娘はまだ大学生。住宅ローンも返済中とか。身に詰まされる話です。中小企業診断士として経験豊富な彼は、故郷仙台へ戻り、震災復旧に苦しむ中小零細の支援活動をしたいとのこと。

携帯デンワ世界一のNOKIAがスマートフォンiPadの登場でAPPLEに負けたことが話題になりました。ウォークマンのSONYも同じですね。長年積み上げてきた世界一の企業実績が一つのアイテムが登場したことでアッという間に転落する。それも他業種からの"新参者"に負ける。大型タッチパネルiPodの登場で次はラップトップPCも消滅するかも知れないとのこと。不連続な革新。これが現代の怖さですネ。話題が講じて若い頃、大ショックを受けた通称"三点セット"の事へ。つまり、①ピーター・ドラッカー(Peter Drucker)著『断絶の時代』、②アルビン・トフラー(Alvin Toffler)著『未来の衝撃』、③ハーマン・カーン(Herman Kahn)著『33年後の世界』の三冊。いずれも未来社会がどうなっていくのかを論じた名書です。驚くのはあれから40年後の今、殆どが現実にそうなっていることです。なぜ彼らは未来がそうなる…と思ったのだろうか。「彼らはユダヤ系だからでしょう…」と誰かが言い。妙に納得です。

3人中一人は数年前からリバイバル・ブームになっています。"もしドラ"と言うらしい。今となれば半ば神格化されたピーター・ドラッカー[写真参照]ですから、彼の"信者"たちは様々な解釈を付け加え、独自のドラッカー論を展開しています。が、その根幹は「顧客の創造」。それを成しと遂げるには「マーケティング」(市場)と「イノベーション」(革新)が必要。大切なのは現状のニーズではなく、未来のニーズだということです。データを集め、どのように分析しても、そこにあるのは現状のニーズだけ。未来のニーズはない。次世代で求められる潜在的な価値をどう見つけるか。APPLEの凄さはソレを見つけたことです。

ちなみに、その後、不滅の名書「マネージメント」を出したドラッカーは2005年、享年96才で他界。「大転期」を出したカーンは3年後、1983年、享年61才で他界。「第三の波」や「富の未来」を出したトフラーだけが健在。83才。これから40年後の世界はどうなっているのか。どんなビジネスが伸びるのか。どんな商品なら売れるのか。未来のニーズを知る秘訣は何か。などなど、教えて欲しいですネ。

2011年7月29日金曜日

ドッキとする偉大なヒトの7つの言葉


この9月、チョットした縁で南インドへ行くことなりました。大都会チャンナイ(旧マドラス)です。[写真参照]。インドは初めて。ビザが必要とのこと。申請用紙の渡航目的の中に「ヨーガ修業」という項目があるのに気づきました。世界中からヨーガを習いに行く人々が多いからでしょうネ。何と駐日インド大使館直営のヨーガ教室もあることが分かりました。ヨーガはインドの大切な無形文化遺産。日本にとっては何にあたるのでしょうか。

折角、南インドに2週間滞在するので、インドのことを少し学んでみよう。そう思い立ち、ガイドブック他を数冊を購入。只今勉強中。遠い昔に読んだ(?)古書『ガンジー伝記』も本棚の奥から探し出して来ました。

今はガンジーとは言わずガンディーと言うのだそうですが"インド独立の父"マハトマ・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)。享年78歳。計5回もノーベル平和賞候補になりながら一度も受賞しなかったヒト。没60年以上経った今でも世界中から敬愛されている偉大な思想家。カンディーから影響を受けたトップリーダーは実に多い。例えば、マーティン・ルーサー・キング、ダライ・ラマ、ネルソン・マンデラなど数え切れないほどです。

狂信的なヒンズー教徒の凶弾に倒れたガンディー。その数ヶ月前、イギリスの雑誌に寄稿した"Young India"と題した小論文があります。それに記された「七つの社会的罪 (Seven Social Sins)」。ガンディーの思想や思考が端的に表わされているとされる有名な言葉です。すなわち…。

「理念なき政治」(Politics without Principle)
「労働なき富」(Wealth Without Work)
「良心なき快楽」(Pleasure Without Conscience)
「人格なき学識」(Knowledge without Character)
「道徳なき商業」(Commerce without Morality)
「人間性なき科学」(Science without Humanity)
「献身なき信仰」(Worship without Sacrifice)

遺言に従い、ガンディーの遺灰はガンジス川に流されます。その場所に建立された慰霊碑に、この言葉(七つの社会的罪)が刻まれているとのこと。ドッキとする言葉ですネ。今の世界…、今の日本…、彼ならこの現状を何と言うでしょうか。聴いてみたいですネ。

2011年7月22日金曜日

強い思いが日々の努力を支える原動力 成功へのルール


久々の"Big News"でした。サッカー女子ワールド杯世界一。嬉しかったネ。徹夜でTV観戦しました。一瞬で戦況が変わるボールゲームの怖さと凄さ。結果が全てのプロスポーツですが、過程も大事。勝ちたい…勝てる…。土壇場まで持ち続けたチーム一丸となった強い思いが勝利を引き寄せたのだと感じました。

一躍、時のヒトになった《なでしこジャパン》ですが苦節30年とか。男子に比べ、女子は環境や基盤が脆弱。チーム存続も危ぶまれた時期があったとのこと。世界一になったとは言え、今でも彼女らの多くはセミプロらしい。男子とは大違い。高級車を乗り回し、貴金属をチラつかせたスタープレーヤーたち。海外でプレーしていると言えば聴こえはイイが実態は持参金付きの"お客さん"たち。そんな彼らがこの彼女らの"結果"をどう見ているのか。本心を聞いて見たいものです。

強い思いが努力の原動力となり"結果"を引き寄せる。スポーツに限らず、何事も奇跡や偶然では起こらない。全ての現実は必然的に起こる。この例としてよく引用されるのがイギリスの文化人類学者が行った研究。アフリカでの雨乞いの研究です。

ある部族の雨乞いの踊りは成功率100%。他の部族とは比べものにならない。何一つ特別なことはしていないのだが、その部族に限り、雨乞いは必ず成功する。何故か。長期にわたる調査の結果、一つの結論が得られた。成功率100%の秘訣は何と「雨が降るまで踊り続けること」だった。つまり、諦めない粘り強さです。他の部族との決定的な違いは、その部族の全員が<必ず願いは叶えられる>と信じていた。強い思いを持っていたことです。今日、この研究から分かっていることは、ヒトの世界での全ての出来事は、粘り強い努力があって始めて結果が得られる。どれだけ努力するかがその結果を決定する。そこには偶然が関与する余地はなく、必然的に起こる。だから現実化するには粘り強さが…、目標を達成するには強い思いからのビジョンが必要なのだ、という事です。

《なでしこジャパン》もきっとこの成功への法則に従ったのでしょう。奇跡や偶然で世界一には成れない。粘り強い努力と強い思い。これがあったからその現実化した結果だったのです。おめでとう。そして、ありがとう。

2011年7月12日火曜日

ラストシーンは花のごとく…人のごとく…


無常の美。引き際の大切さを表現する言葉があります。400余年も経過した今でもよく引用される超有名な一句。

♪ 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ ♪

細川ガラシャの辞世の句です。「敵は本能寺にあり」あの織田信長を倒した明智光秀。その娘として生まれ、明智三姉妹の中でも特に世間に翻弄され、悲惨で数奇な生涯を生き、潔く散った女性。凛とした生き方は日本女性の象徴です。死後、彼女のことはローマでオベラとなり、オーストリアで戯曲となり、今日でもこの劇「気丈な貴婦人」は「蝶々夫人」とならび上演されているそうです。

時の首相もこれまでに退陣の際にこの一句を口にします。記憶に新しいのは小泉純一郎元首相。現首相も自称"一定のメド"とやらがつけばどこかで辞任するのかも知れません。が、今のところ次々にその"メド"とやらが追加され、一向にその気はなさそうです。国難の危機です。世界一等国の最高権力者なのですから、普通の小父さんと同じ如き「言った…言わない…」を繰り返すことは勘弁して欲しい。見苦しいですヨ。あの方には細川ガラシャ的な凛とした美意識はないのかも知れません。が、心の中に書き留めて欲しい一句です。

あの日から4ヶ月も経っています。引き際が良ければ、世間の見方も変わります。花も人も同じです。

2011年6月23日木曜日

自転車通勤者に手当て。非課税。環境保護と健康維持に貢献。


海外のネット新聞に面白い記事がありました。ヨーロッパ各国で自転車通勤を奨励。1キロ単位で非課税の手当てが支給されているという内容です。

その理由は環境保護や健康維持に貢献するからだという。何とベルギーでは、1キロ当たり0.20ユーロ(約23円)。オランダは0.15ユーロ。イギリスでは1.6キロ当たり最高20ペンスだそうです。すべて非課税だと言うのですから驚きます。ベルギー財務省の調査では、自転車通勤手当てを受け取った人は2006年で14万人。2010年は27万人。今後、年々増加するであろうと予測しています。また、ベルギーの大手スーパーでは4年前に自転車通勤奨励策を導入。勤務地から最大7キロ圏内に住む従業員に自転車とそのメンテナンスを提供。2100人の従業員が自転車通勤中とのこと。

ヨーロッパはどこへ行っても自転車専用ロードが整備され、走りやすい。自転車専用地図もあります。レンタルも簡単。とにかく快適です。日本は自転車の位置づけが曖昧ですから幹線道路を走るとピヤーッとするときがあります。自転車はヒトと同じ歩道を走らねばならない場合と車やバイクと同じ道路を走らねばらならい場合とがあり、区別がマチマチなのです。そこがヨーロッパと大きく異なります。

それはさて置き、時折、私は会社近くの河川敷をポタリングします。回りの景色を楽しみながらのんびり自転車乗りすることをポタリングと言います。昼時はジョギングしているヒトも多いのですが、数年前からポタリングするヒトも増えているように感じます。それも"ママチャリ"ではなく本格的なロードやマウンテン。ヘルメット&サングラスでさっそうと走る中年男性が多い。多分、退職した"団塊の世代"のヒトなのかも知れません。本格的な自転車は10万円前後しますので一見高いよう思えますが、ゴルフや釣りに比べれば、安いものです。もし、コレと言った趣味のない小父さんがいるのなら、自転車がお薦めです。一人でもOK。何処へでも行けます。慣れてくれば自転車持参で旅に出ることもOK。「輪行」と言うのですが旅先で再び組み立て、気ままにポタリングする。楽しいですよ。なかなかエコぽっくて格好イイものです。やってみませんか。

2011年6月18日土曜日

寡黙でガマン強い人々を騙し討ちにするな



もし機会があるのなら<神様>に聞いてみたい。「なぜこの時に三陸沖だったのですか?」と「なぜ東海沖ではなかったのですか?」と…。決して東海沖ならイイ訳ではないのですが、寡黙で辛抱強い東北人がなぜこんな最悪な目に合わねばならなかったのか。岩手と宮城の親戚を訪問。胸に込み上げて来る悔しさを抑えながら体験談を聴きました。

高速道のサービスエリアやすれ違う車に"がんばろう!○○"のステッカーが貼られていました。応急⇒恒久へなのでしょうか各地で道路工事中でした。故郷仙台の郊外住宅地の屋根は今でもブルーテントがチラホラ。「これでも随分少なくなったヨ」とのこと。石巻の親戚に"義援金"のことを聴いてみました。子声で「ゼンゼン…」と片手を小さく振りました。ライフラインも瓦礫処理も手付かず。義援金もゼロ。なんと言うことでしょう。あの日からもう100日も立っていると言うのに…。

義援金はまだイイ方です。問題なのは復興金の使い道です。数兆円の利権が絡むのですから中央官庁と政治家の思惑は複雑です。そう簡単に大連合など出来ない訳です。復興への掛け声だけは大きいのですが実は党利党略・私利私欲。自分の利害や損得ばかり気にしています。特殊な進化を遂げた今の日本の上層部の特徴です。もっとも彼らを選んだのは私たちです。批判は出来ません。程度の差こそあれ同じように私たちもガラパゴス化しているのですからネ。

世界遺産に名乗りを上げた平泉中尊寺。その近くの衣川古戦場跡を通りました。鎌倉時代に藤原三代の基をつくった騙し討ちの場所です。奥州豪族安部一族を皆殺し。富を横取り。蝦夷地に源氏の勢力基盤を築いた戦いです。その昔、平安時代にも平泉近くの水沢で騙し討ちがありました。征夷大将軍坂上田村麻呂が大敗しながらも敵将を都へ連れて行き、皆殺し。横取り。蝦夷王アテルイの戦いです。東北は昔から中央から騙し討ちされ、泣き寝入りを繰り返してきた長い歴史があります。

今回の東日本大災害も中央政府の騙し討ち(?)とは言わないまでも"天災"だと言い訳しながら実は彼らが犯した大いなる"人災"ではないか。多くの東北人はそう思っていますヨ。特に福島原発は最悪です。このままでは岩手⇒宮城⇒福島の被災者の多くは泣き寝入りです。

阪神淡路大震災は幸いにしてヤル気のない首相(誰とは言いませんが)でしたので利権付きで官僚へ丸投げ。そのお陰で敏速な復興処理ができた。今回はどうでしょうか。生じっかヤル気ある首相なのでこの体たらくです。阪神淡路では1ヶ月で成立した復興基本法が今回は3ヶ月以上。次はたっぷり利権が含んだ美味しい二次補正予算ですから戦々恐々です。もし、今回の大震災が東海沖で起きたとしたらどうだったのでしょうか。東北のような"騙し討ち的"な後手の対処ではなかったかもしれません。寡黙で我慢強い正直な人々が住むが故に今も昔も泣き寝入り。このままで言い訳ありません。3月11日を「日本再生記念日」として後世に伝えてゆかねばなりません。帰り道、栃木の佐野インターで一休み。トイレを除き、店内全体が暗い。東電エリアに入ったことを実感しました。


※緊急出版・特別報道写真集『巨大津波が襲った3・11大震災』(河北新報社)は必見。東日本が再起するため…あの日に何が起きたのか。この一冊を見ずに語ることはできません。詳細は⇒ http://www.kahoku-ss.co.jp/

2011年5月21日土曜日

東洋の風がジャパン⇒コリアへ



久しぶりにカルフォルニアへ行ってきました。LAの郊外都市でサンディエゴへも近いオレンジカンティーです。サンタアナを核に幾つかの街と西海岸屈指の有名ビーチ(ラグナなど)がズラリ並ぶの高級住宅都市。初めて訪れました。 いい所ですね。

ビーチでのんびりする時間はなかったのですが、近くにあったショッピンセンターを覗いて見ました。まずは駐車場をブラリ。韓国車がチラホラで日本車はめっきり少ない。店舗中で目立つのは量販家電店。多くのスペースを占めているのが大型テレビコーナー。例の薄型デジタルがズラリ。目立つのはやはり韓国製です。日本製と韓国製が比較的に展示してあり、軒並み韓国製は30%以上安い。パソコンも携帯デンワも圧倒的に韓国製が多い。そして価格的にも断然優位。韓国パワーの凄さを実感しました。

知人から連れられ、人気上昇中だという繁盛レストランで夕食。予約が必要だと言うその店先にはズラリと長い列。日本料理店かと思いきやチョット違う。韓国料理&日本料理のコラボ・レストランだと言う。これがなんと美味い。サービスもイイ。日本では見かけたことのない不思議な寿司がいっぱい。なんと魚貝類ではなく野菜類の寿司。ヘルシーが"売り"なのだと言う。聞いて見るとオーナーは韓国系アメリカ人とのこと。LAからスタート。現在、カルフォルニア各地でチェーン展開中。大成功。近々、NYなど東海岸へも進出するのだそうです。あいにくカメラを忘れ、残念でした。

滞在中、気になったのは米国TVニュースでの日本に関する報道姿勢です。福島原発事故処理での死者の件。"被爆死"とは言わなかったが…。日本政府の"発表"を言葉通りには信用していない様子でした。

いろいろな風向きがジャパン⇒コリアへと変わり出している。30年前、ジャパンが今のコリアだったのでしょう。30年後…いや20年後…もしかして10年後…はチャイナそれともインド。時代の"風"は変化する。それを痛切に感じたカルフォルニアの日々でした。

2011年4月19日火曜日

船頭のいない船はどこへ行き着くのか


『船頭多くて船山に登る』という諺があります。ご存知の通り、この意味は、指図する人が多過ぎると統率がとれず意に反した方向へ事が進んだり、事が決まらず進まなかったりすることです。

現状の日本トップの状態を言い表しているようです。今の日本はリーダーがいないのか、リーダーが多過ぎるのか、とにかく指図が混乱しているようです。「○○対策本部」と称する司令塔が何と6つもあるらしい。それが事実なら、命令系統が複雑過ぎる。内容が重複するでしょうから現場が大混乱するのは当然です。

例えて言えば、二代目御曹司がトップで彼の学生時代のサークルの後輩・先輩が補佐役の会社。営業本部長の肩書きを持つ幹部が6名もいる会社です。この先成長する会社でしょうか。同業他社との競争に勝ち残れるでしょうか。資産がなければ遠からず倒産。資産があれば他社から吸収合併されるでしょう。いずれにしても先が見えない会社です。

日本のトップたちは、分刻みで本部会議を次々開いているとメディアは報じています。会議は踊り、船山に登る。問題は発生1ヶ月も経過しているのに未だに命令や指示の責任所在がハッキリ分からないことです。国難の一番の危機はそこにあるのかも知れません。

日本の復興と復活へ立ち上がってゆかねばならない重要な時です。対策本部長6名の"○○大臣"へぜひお願いしたい。日々、国民へ情報を発信してください。抽象的な掛け声の段階は終った。次は具体的な手段や優先順位を伝える段階です。BlogでもYouTubeでもInternet-TVでも何でもイイから本部長自らが生の声で伝えて欲しい。せめて会議での議案や検討・懸案の項目だけでもイイ。無いよりはマシです。いま何が決まっているのか、何が決まってないのか、などメッセージを流して欲しい。貴方がこんな時に本部長になったのには意味がある筈です。必然的な理由がある筈です。ですから政治家として「本懐」と受け止め、会議が踊っている場合ではありません。今こそ決断と実行を…。

「船頭多くて船山を登る」と同じような諺が西洋にもあります。「料理人が多すぎるとスープが駄目になる」(Too many cooks spoil the broth)といいます。船頭ぶる人や料理人ぶる人が多い場合の諺ですが逆の場合もある。つまり、大勢ヒトはいるのですが、一人の船頭も一人の料理人も実はいない。そんな場合はどうなるのか。船はどこへ流れてゆくのでしょうか。スープの味はどうなるのでしょうか。その事がとても不安です。

2011年4月12日火曜日

9.11と3.11 2つのパラダイムシフト



今から10年前、9月11日のNY多発テロ。当時、黒人初の国務長官パウエル氏は「USAは必ず復興する」だから「いつもと同じ生活行動を…」と連日TVで訴えました。決して"自粛しろ"とは言わなかった。彼は難しい言葉は一切使わず、誰にでも分かる日常語で語った。一方、10年後、今年の3月11日の三陸沖での大震災。日本の官房長官枝野氏は「未曾有の災害」だから「自粛を…」と訴えました。丁寧な語り口ですが難解な言葉や表現が多い。お役人が書いた原稿を読んでいる。かなり日本語達者な在日外人でも理解できないようで、外人記者クラブでは彼の会見後、毎回、解読セミナーが開設されるそうです。遠い昔、"全学連"のオルグ演説にどこか似ている。解説がないと理解できない。パウエル氏のように自分の言葉で外人にも分かるようにストレートに語ってほしい。ましてや福島原発の放射能汚染に至っては何がどの程度の危険なのかサッパリ分からない。政府のお抱え専門家集団である原子力安全保安院の会見に至ってはもっと分かりずらい。まるで科学用語の"直訳"ですからTV解説者の"意訳"が必要なほどです。残念ながら海外メディアの方が案外分かりやすいように思えてなりません。

9.11の米国と3.11の日本。この二つの国家的危機は人災と天災の違いがあります。被災規模は日本の方が数倍深刻で甚大です。なにせ地震と津波に加えて原発事故なのですから…。行方不明を含む死傷者は2万7千人(?)。日米間で違いはあるにせよ、一つハッキリ言えることは、この先の復興が後世に残るターニングポイントになることです。国民一人ひとりの国家や民族への考えをシッカリ持たねばなりません。現在の大ピンチを未来の大チャンスへ。まさに国家や社会の枠組みが変わるパラダイムシフトが起こったのです。

米国はその後、復興への矛先をテロリストへ。そのパトロンであるイラクへと向います。"大量破壊兵器"を保有しているに違いないとの思惑でイラク侵攻が始まります。泥沼化したその戦いは10年後の今も進行中(アフガン)。日本の復興はこれから始まります。矛先をどこへ向けるのか。深刻なのは福島第1と第2原発です。国連の原子力管理機関IAEAではソ連時代のチェルノブイリ原発事故(25年前)と同レベルと観ているからです。つまり、福島原発を廃炉にするには10年以上の長い時間がかかるという意味です。チェルノブイリ周辺には未だに退去避難者は戻っていません。とにかく500kmにおよぶ広範囲な東北太平洋沿岸の復興は険しくて長い道程になります。巨額な資金と遠大な努力が必要です。日本人一人ひとりが覚悟しなければなりません。これから日本をどうしたいのか。「民族」と「国家」と「経済」のために何が出来るのか。復興へ向けて考えねばなりません。

GANBARO NIPPON!

ちなみに、体を張って復興へ立ち向かったパウエル氏はその後、どうなったのか。ブッシュ大統領の取り巻き勢"ネオコン"と衝突。国務長官を辞任。政治家を廃業します。元軍人らしく潔い良い引き際でした。その結果、黒人初の大統領は彼ではなく、親子ほど歳が違うオバマ氏の登場までお預けになったのです。枝野さんはどうするつもりなのでしょうか。

2011年3月18日金曜日

"Fukushima Fifty's"の皆さんへ感謝!




今日であの日から1週間。地震・津波・原発事故の三重災害。被害規模は阪神淡路の5倍強。死者行方不明2万人(?)。避難者24万人。国難の危機です。TV各局は連日連夜、どの番組も報道視点は横並び。被災地・避難所・原発被爆。確かに深刻な事態ですから止むを得ません。

しかし、一方、海外のTVニュースでの報道視点はチョット違います。原発事故での水爆防止へ立ち向かう人々の姿。被爆の危険を省みず勇敢に任務を遂行する現地での東電社員50名(キャリア組はゼロとのこと)の様子を日々大きく報道しています。彼らを称して"Fukushima Fifty's"と言っています。そして"被爆避難"と称して成田空港から海外へ出国するセレブな日本人家族の様子を報道しています。逼迫する食料不足に耐え、精一杯の節度を守っている避難者の人々。真冬のような寒さに震えながら夜明けを待つ人々。双方を対比する報道視点の鋭さ。不思議なニッポン人を浮き彫りにしています。

"Fukushima Fifty’s"の陰に隠れている官僚天下り組の東電幹部のお偉いさん達は何処で何をしているのでしょうか。この1週間は止むを得ないとしても、これから先、この首都圏の経済活動の停滞をどう観ているのでしょうか。もしかして、今夜あたりは「困りましたナ・・・」などと自称大物政治家と"密談"しているのかも知れません。それも今回の計画停電エリヤから当初から外されている何処かの高級料亭で…。それからこの狭い国に700名強もいる国会議員の先生方は何処で何をしているのでしょうか。もしかしたらセレブな彼らはこの週末連休をハワイへ。もちろん"被爆避難"です。それも美人の私設秘書同伴で…。なんでことがあったらどうしますか。

TV各局のディレクターの皆さま。一局ぐらいは成田かホノルルで取材する勇気と気迫があって然るべきです。多局ばかり気にせず、追随ばかり考えず。もっと独自の視点と感性を持って報道して欲しい。未曾有の危機なのですから。

2011年3月14日月曜日

ツナミが日本を一掃?何とかしなければ!



未曾有の大災害。あまりに被害が甚大なので言葉を失います。仙台市のド真ん中で生まれ育った私は被災地に縁者や知人が多い。殆どが未だ連絡が取れず安否不明です。とても心配です。

地震規模M8.8⇒M9.0へ変更。それも諸外国の地震研究機関からの指摘だったと言うのですから心細い限りです。また、福島原発事故での避難範囲のなし崩し的な変更。水素爆発。状況判断の甘さを感じます。そして昨夜、深夜近くに公表された「計画停電」とやら。記者会見での鋭い質問への答弁の曖昧さ。時折、隠れ家(首相官邸)からチラリと顔を出すトップの説得力のない弁明。とても世界第三位の首脳国のトップには観えません。リーダーシップの欠如に腹立たしさを感じたのは私一人ではないはずです。

そして今朝の交通機関の大混乱。その後のプランやエリアの錯綜と変更。これがライフラインを司る大企業(東京電力)のリスクマネージメントの実態なのかと思うと背筋が凍る思いがします。 やっぱりこの国は偉い人ほど変、ガラパゴス化している。

ヨーロッパの知人からのメールで知ったことですがどこのTVニュース番組で大きく取り上げられているようです。殆どは日本への支援や応援メッセージとのことですが、中には「ツナミが日本を一掃」「巨大な自然が混迷する政治を払拭」と言ったタイトルもあったとのこと。残念無念。壊滅状態の被災地の方には本当に申し訳ない。不敬極まりない表現ですが、海外の一部では今の日本国の姿をそう観ているのでしょう。全く情けない。今に見ていろ…。この国難の時こそ団結を…。日本人の底力を発揮する時です。

2011年3月10日木曜日

いつか住みたいあの街のアパートメント



もし、好きな海外の街に住んでイイと言われたら、あなたならどこを選びますか。

私は迷わず南米ブラジルのリオデジャネイロを選びます。確かに北米アメリカのNYも魅力的です。NYは世界一刺激的な街です。が、人々の忙しなさと刺々しさがチョット煩わしい。その点、南米のリオは刺激的かつ人々のおおらかさノンビリさが何とも言えない。心地よい雰囲気があります。丁度、ホノルルとNYを足して割ったようナそんな不思議な魅力があります。

ブラジルにはこれまで縁があり、知人も多く、4回訪れています。100年前から大きな日本人街があった大都会サンパウロも確かに刺激的ですがメシャメシャ広い。丁度、北米のロスに似ています。その点、リオの市街地は狭い。端から端まで歩ける。食事も美味しい。女性もビーチもキレイ。その狭いエリアに世界の縮図がある。そう思えるほど多種多様な街並みがギューッと詰まっています。さすが物価は高いそうですがネ。

この時期になると南米最大の夏の祭典「リオのカーニバル」が話題になります。きらびやかな衣装に身を包み、軽快なステップで踊る女性たちが闊歩する大パレードが繰り広げられる。残念ながら、まだ一度も観たことはありません。今年の最終ステージに勝ち残ったのは12チーム。総勢4,000名がパレード出場。ブラジル保健省の発表だと、カーニバル期間中に8,400万個の避妊具を無料配布したとのこと。行政がそこまで心配する訳はやがて出産ラッシュがやって来るから…。その社会負担が大変なのだそうです。 草食性ヤングマンが多い今の日本。そこが違う。

それはともあれ、いつの日か、華麗なリオのカーニバルをこの目で観たいものです。

2011年2月16日水曜日

ユダヤをマサダに追い込んではいけない



エジプトのムバラク大統領が辞任。30年間続いた独裁政権が崩壊しました。チュニジアに続き、イスラム国家の政変です。それもツイッターとかフェイスブックといったソーシャルネットワークでの呼び掛けが市民パワーの原動力になったというのですからインターネットの威力を痛感する出来事です。アラブの大国エジプトの政変で過激なイスラム原理主義の勢いが高まるとしたら世界はどうなるのか。ちょっと心配です。

いずれも元軍人の独裁政権ですが、この二人がいたことで中東の微妙なバランスを保ってきました。一人は反米の故フセイン(イラク)、もう一人が親米のムバラク(エジプト)です。二人の立場が違うとはいえ双方が中東イスラム諸国へ"睨み"を利かせてきたわけです。だから、かろうじて安定してきた。今回のムバラク政権の崩壊で最も微妙な立場に追い込まれているのがイスラエルではないでしょうか。何せエジプトとは長い国境を接しており、これまで何度も"紛争"を繰り返した経緯があります。サダト暗殺後、ムバラクが親米だったのでかろうじてイスラエルは安定した成長ができた。ムバラクが長期政権でなかったとしらら、もしかして、第三次大戦が始まっていたかも知れません。

なにせ旧約聖書の出エジプト記を例に引くまでもなくエジプト人とユダヤ人は大昔から骨肉の争いをしてきました。ユダヤ人にとって民族絶滅の危機が三回あります。その一つがエジプト人。他の二つはローマ人とドイツ人です。古代ローマ時代、エルサレムが支配され、抵抗したユダヤ人が立てこもり、兵士967人がローマ軍1万5千人を相手に壮絶な長期戦(2年間)に挑み、結局、ユダヤ人は全員自決。ユダヤ魂の象徴とされる特別な場所があります。死海に面した岩山に築かれた巨大な山城、マサダ砦です。紀元前120年頃に建設。2001年に世界遺産に登録されました。

私は1999年3月と2006年6月の二度、テリアビブ(イスラエル)を訪れる機会があり、マサダ砦を訪れたことがあります。テリアビブから死海沿岸のマサダまで車で3時間程度ですが、この間に全世界が凝縮されていると言われています。確かに大都会(テリアビブ)⇒農地⇒森林⇒山河⇒砂漠(マサダ)へと目まぐるしく風景が変化します。エジプト人もアラビア人もユダヤ人もこの地を何としても死守したかった理由がよく分かるような気がしました。 イスラエル国防軍の入隊式は毎年、この地、マサダで行われるそうです。新生エジプトがイスラム原理主義的な動きをしないように祈るばかりです。イスラエルを窮地に追い込むようなことをしたら彼らはマサダの戦いを再現するに違いないからです。

2011年1月28日金曜日

アジアの躍進の中で忘れられた国

月遅れのクリスマスカードが届きました。良く観ると住所の一部が違っており、書き直した跡があります。差出人へ一度戻ったのが遅配の理由らしい。差出人は、若い時、お世話なった元フィリピン人政治家の未亡人からでした。ここ数年はご無沙汰でした。クリスマスカードにしては長文で当時の思い出がビッシリ書かれていました。

若い頃、私はフィリピンに3年間住んでいました。フェルナンド・マルコスが大統領に就任した翌年からです。今から30数年前。差出人は現在アメリカに住んでいるのですが、当時はルソン島北部にある小さな州の知事夫人でした。幼い4人の母親。ご主人は弁護士で州知事。アキノファミリー中堅の若手政治家でした。将来は上議員へ。そんな野心を持っているように見えました。

当時は共産主義が台頭。革命が囁かれ、テロが続発していました。それを理由にマルコスは戒厳令を布告。一気に憲法改正へ。マルコス独裁政権へと加速する幕開けでした。政敵だったベニグノ・アキノ上議員(当時)を投獄。10年後に暗殺。州知事だったご主人も連鎖逮捕されます。危機を感じた夫人は子どもを連れて米国へ。その後、アキノ暗殺までの10年間、投獄生活が続きます。釈放後、故郷で弁護士として再スタートしますが、数年後に他界。婦人はシカゴで今でも元気に暮らしています。孫の世話で日々忙しい…とクリスマスカードに書かれていました。

慌しく子連れでアメリカへ旅立った朝、マニラ国際空港で別れたあの日。10数年後、シカゴ郊外に住む母子を訪れ再会を喜んだあの日。末娘はミシガン医大卒、医師としてフィリピンへ帰国する際、我が家へ数日滞在した日々。彼女は今マニラ医療センターの救急医として勤務しています。マルコスも、アキノも、フィリピンも、どうでもよくなった今、アジアの大躍進の中でいずれも忘れられようとしています。