2013年5月1日水曜日
野口と新渡戸 紙幣の「顔」の裏側
大河ドラマ「八重の桜」の里、会津若松へ。小学校修学旅行以来ですから半世紀ぶり(?)。ブームに肖ろうと街中心地はドラマ一色でした。その街外れに野口英世が医学者を志す切っ掛けとなった会陽医院(渡部医院)が明治のままの姿で現存していることを知りました。
野口英世は細菌学者。ノーベル生理学・医学賞に三度ノミネートされた。が。黄熱病研究中、アフリカ・ガーナで死去。享年51歳。故郷を立つ時、猪苗代湖畔の貧乏農家の柱に「学成らずんば死すとも帰らず」と彫った彼。結局、学成っても帰ることはなかった。ニューヨーク・ウッドロンに永眠している。
私の知る限り、生前の野口に対する世間の風は冷たかった。当時の日本の医学界のリーダーたちは彼が世界的に評価される度に苦々しく思っていたようです。野心的な性格で出世欲が強いから…と言うのが権威者の見方。が、夫人がアメリカ人女性だったことも彼らが嫌った隠れた理由の一つ…。同じ理由で嫌われたのが、岩手出身の新渡戸稲造。今も昔も“国内組”のヤッカミは同じですね。これも“島国根性”と言う厄介な国民性にあるのかもかも知れません。
もっとも、権力者は時には<度量の広さ>を印象付けねばならず、その象徴として、“海外組”の有名人を紙幣の“顔”にする。野口が1000円、新渡戸は5000円。その流通期間が意外に短いのが常です。
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