2014年12月27日土曜日

そのヒトへ 聴かせたかった この一曲


今年も残り少ない。街行く人々はどことなく忙しなく早足で歩いています。そんな仕事納めの寒い朝。電車が来ません。駅のホームに“人身事故”の赤文字サインが出ました。

どんな深刻な事情があったのか…知る由もありません。が、自ら命を絶つ程、重要なことがあるのでしょうか。そんな世の中なのでしょうか。笑って生きてこそ人生…。電車を待ちながら“スマイル”のメロディーが脳裏に浮かびました。こんな日に電車に身を投じたヒトへ。この曲を聴かせたかった。もしかして、思い止まったからも…。


Smile even though your heart it is aching
微笑んで、たとえ君の心が痛んでも
Smile even though it's breaking
微笑んで、たとえ破れても
When there are clouds in the sky
空に雲が立ち込めても
You'll get by
君ならきっと切り抜けられるから
If you smile through your fear and sorrow
恐れる事も悲しい事も乗り越え、微笑むなら
Smile and maybe tomorrow
微笑んで、そしてたぶん明日には
You'll see the sun come shining through for you
君のために輝いてくれる太陽を見るだろう
Light up your face with gladness
訪れる喜びに君の顔を輝かせて
Hide every trace of sadness
どんな悲しみの跡も見せずにいよう
Although a tear may be ever so near
たとえ今すぐにも涙しそうだとしても
That's the time you must keep on trying
そんな時にこそがんばり続けて
Smile, what's the use in crying
微笑んで、泣いたってどうにもならない
You'll find that life is still worthwhile
人生にはまだ生きる価値があることを君はわかるはず
If you'll just smile
もしも微笑もうと思うなら
Smile...
微笑んで



この曲“スマイル”(Smile)は『モダン・タイムス』(Modern Times)のラストシーンで歌われました。1936年のアメリカ映画です。チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画の傑作の一つ。

弱肉強食の資本主義社会。カネの力で人のココロが変る。人間の尊厳が失われ、機械の一部分のように扱われる。そんな切ない世の中を“笑う”ことで自らを救う。場末の酒場でインチキ外国語(フランス語?)で歌うシーン。

この映画も理由の一つとなり、彼は戦後(1952年)アメリカから追放される。20年後、再び同国の地を踏む契機となった第44回アカデミー賞授賞式のフィナーレ。彼がオスカー像を受け取る際、会場全員が総立ちになり大合唱したのがこの名曲です。


チャップリンは一体誰だったのでしょうか

2014年12月16日火曜日

スマホがZ世代の犯罪率ダウンへ


13才から19才まで、末語に“teen”が付くので十代(teenager)と言いますネ。なせかよく分かりませんが、この人々のことを昨今“Z世代”と言われています。

このZ世代の犯罪件数が年々減少傾向にある…と米国政府が発表。その要因の一つがスマホを介してのSNSだ…と言うのです。つまり、SNSに夢中。そのために時間の多くが“拘束”され、“悪の道”へ走るヒマがないのでは、と言うのです。そうなんですかネ(?!)。SNSの功罪がこんな面に現れている。ちょっと意外ですネ。

ところで、Z世代のオバマ大統領の娘。公式会見で“タメ口”で返答したらしい。聞苦しいと言葉の“乱れ”を嘆くヒト。逆に“親しみ”があってイイじゃないかと評価するヒト。交々。米国ではチョットとした話題のようです。

どう見ても「Z」ではないイイ歳のオトナが若者顔で“タメ口”で言う。頂けませんネ…こんなオトナ。ご注意ください。

2014年12月10日水曜日

Remember Pearl Harbor 


ニイタカヤマニノボレ

あの日(12月8日)から今年で73年目。もしあの“山”に登らなかったら、日本はどんな国になっていたのでしょぅか。

ノモンハン(満州)から広島・長崎までの正味6年間。軍人が政治の一切を仕切ったファシズムの時代です。長い日本の歴史の中でファシズムが幅を利かし、植民地政策を図ったのはごく限られた短い間だけ。なのに、今も対中国・韓国の外交の“足かせ”になっている。ご承知の通りです。

植民地「満州国」を知り屈していた筈の“陰”の帝王、甘利正彦は東京裁判直前に自害。死人に口なし。アヘンと塩を一手に仕切った里見甫はなぜか戦犯から外され。戦後、黙して語らず。メディアの“黒幕”として君臨します。「満州は私の“作品”」と言った高級官僚岸信介は終身刑から一転保釈。戦後は首相になった。その岸のお孫さんが安部晋三。いずれもエリート・ファミリーの出。

間もなく“アベノミックス”の是非を問う衆議院選挙(2014年12月14日)です。これからの日本、どんな歩みすればイイのか。ぜひ、若い世代の人々へ。棄権せず、投票所へ行って欲しい。日本はあなたの国なのですから…ね。“山”に登るのか降りるのか。10年後、若者の人生に少なからず影響するからです。

余談ですが、ハワイは今では、日本人が最も好きな海外観光リゾート。何と年間130万人が訪れるらしい。ちなみに、ベトナムを訪れるアメリカ人観光客は年間40万人。ナンバーワンとか。これは戦争の“功罪”の一つなのかも知れませんね。




いつからファシズム時代なのか。諸説あり「満州事件」(1931年)以降。つまり15年間だとよく言われます。が、初の国境紛争となった「ノモンハン事件」(1939年)を起点に本格的化した。これを機に陸軍対ロシア前線基地「関東軍」(旅順)が東京の管理下から事実上“独立”。独自の判断で歩み、東京はそれを黙認。なので実質6年間と言う見方もできます。

戦後、GHQ管理下のドサクサを経て、日本が米国から独立(1951年・サンフランシスコ講和条約)。それからも結局、戦争賠償その他のファシズム時代の“総括”が曖昧だった。それが今でも何かにつけて「歴史認識の違い云々」と中国・韓国から非難されてている訳です。

ご興味ある方は こちらへ ↓↓↓l
http://junkonno1.blogspot.jp/2014/08/15.html