2015年8月3日月曜日

facebook  8月より



■ 宇宙人の謝罪 8月13日


韓国訪問中の鳩山元首相。ソウル市内、抗日運動の象徴的な跡地で土下座謝罪。政府要人が“憂国の志士”となりご一行で靖国参拝する。その逆パターンと考えればそれも良し。思想・表現の自由。十人十色です。

 “Trust Me” “最低でも県外” “CO2/25%削減” “国家予算14兆円削減” などなど、宇宙人的発言で話題になったお坊ちゃん。またか?…とさすがメディアも呆れ顔。村山元首相や河野元自民党総裁もご一緒で土下座をすればニュース性が少しアップしたかも…。

やっぱり宇宙人。ご立派…。



■ イタリアでの広島原爆式典 8月11日


40数年前、フィリピンで3年間、暮しました。初めての8月、マニラ下町でバケツ一杯の水を掛けられました。大声で叱声“Kora-Kora Kenpei-Tai”。道端の人々の冷たい目での笑い顔。今でも忘れません。イタリアとは大違い。イタリヤ・ドイツとは三国同盟の仲。そんな関係があるのかも…。

 【8月6日】この日、毎年イタリアで行われている”原爆式典”の事を日本国民のあなたは知っていましたか?

 後ろから水をザバーッと掛けれた事よりも、ポケットの中に入れていた自慢のストップウォッチ(SEIKO製)がダメになった。その事の方が悔しかった。思い出です。

I shall return…で有名なマッカサー将軍、フィリピンは因縁の地です。米軍は徹底攻撃。日本軍は援軍・食糧・何もかもなし。祖国から見捨てられた。兵士11万5000人、民間人2万5000人、計14万人がルソン島北部へ。絶望的に追い詰められた。そんな中での惨劇が多い。その種の事は、当時、たくさん見聞きしました。


■ 二人なら 2個の原爆は避けられたかも 8月10日


ファシズム時代の後半に登場。太平洋戦争を象徴する陸海二人のトップリーダー。共通項は開戦消極派。が、いざ開戦が決まると、いずれも最前線へ。主流積極派から睨まれ、左遷の連続。

が、米軍は二人を恐れた。常に居場所を把握していた。もし、二人が“魔法の杖”側(東京)にいたら、降参のタイミングを早めに模索。広島・長崎へ至ることはなかったであろう。残念。

 ■山本五十六 1941年、真珠湾攻撃。“トラトラトラ”の命令を発した連合艦隊司令長官。1943年、東南アジア・ブーゲンビル島上空で戦死。享年59歳。

 ■山下 奉文 1942年、シンガポール攻略の陸軍司令長官。“マレーの虎”の名称で知られた。1944年、フィリピン防衛線へ。1945年、ルソン島バギオにて降伏。囚人服のまま絞首刑。享年61歳。

山下が囚人服のままで絞首刑台へ登る時。米軍の係員が「日本は間違った戦いをした?」「反省しているか?」との問いに「歴史が判断する」とだけ答えたと言われています。望まぬ戦いを凛として戦った彼の心境はいかほどだったのか。 マニラ郊外モンテンルパに山下大将が没した場所があります。1970年、お詣りしたことがあります。

マニラ軍事裁判は終戦の3ヶ月後、1945年10月から2年間開かれ、毎月3名づつ、計69名の日本軍人が絞首刑になりました。最後の絞首刑者は1947年4月。彼らは「祖国のため…」と必至に戦った。それが絞首刑に値する罪だったのでしょうか。負けると言うことはそう言う事です。不条理。


■ 二つの写真が問う、何故こうなったのか 8月9日

今日は2個目の原爆投下日。1個目(広島)はウラン型。2個目(長崎)はプルトニウム型。原料が異なる二つの元素を一気に使用。そのワケは何だったのか。広島で14万人、長崎で6万人。この数日で20万人の民間人が死亡。

戦後、米国は、この“正当性”をこう説明してきた。つまり、本土決戦ともなれば、その数倍の死傷者が出る。沖縄戦を見れば、その悲惨さが容易に想定できると…。終焉を日本側に決断させるため、止むを得なかった…と。

確かに、日本全土を焦土化してもイイ。“一億総玉砕”と大声で騒いでいた時期です。米国側の言い分も一理あります。

 二つの有名な写真。長崎での「焼き場に立つ少年」。沖縄での「白旗を掲げた少女」。日本史の中で最も異様な15年。ファシムズの時代。ここまで日本人を追い込んだワケは何だったのか。何故、そう成ったのか。一人ひとり、70年前の事を考えてみなければなりません。



■ 負けを想定しなかった 軍国主義の末路 8月6日2

 坂の上に“もう一つ”の雲があるかも知れない。そう思った昭和の大作家、司馬遼太郎。“魔法の杖”( 統帥権)を持った大本営司令部・参謀本部のエリート軍人たちの中に、小説のモデルになる人物がいるかも…。

日露戦での秋山好古・真之の兄弟のような人物、つまり、終戦してからの次なる新時代を考えた日本人がいるのでは…。小説になり得るヒトを探したが、誰一人見つからなかった。

 満州事変から終戦までの15年間、日本史の中でも異質なファシズムの時代。彼らエリート軍人たちは日本人の仮面を被った別の人種だったのかも知れません。本土決戦と称して、国が焦土化し、滅んでもイイと考えていたのですから…ね。

 詳しくは こちらへ ↓↓↓
http://junkonno1.blogspot.jp/2014/08/15.html

 統帥権とは三権(立法・行政・司法)を凌駕した特別権限。何でも出来ることから“魔法の杖”と称される。「これが目に入らぬか…」と言えば、皆がひれ伏す。まるで水戸黄門さんの“印籠”と同じ。このスーパー権限を総勢50名のエリート軍人たちが独占的に多用した。が、誰一人、どうすれば戦いが終わるか。降参するタイミングはいつか。その後の祖国ニッポンはどうすればイイのか。など終焉を考えるヒトがいなかった。それが最悪の事態を招いた大きな原因です。

■ 地上初 1個で14万人が死亡 8月6日


今日は人類史上初、原爆が使用さた日です。3日後、長崎へ。そして次は新潟へ。そんな計画だったようです。今、世界中には1万7000個あると推測されています。が、戦後70年、実践投下されたの2個(広島・長崎)のみ。


過日、訪日した知人夫婦(イスラエル人)。広島原爆記念館を訪れ、大ショックだったようです。真顔で質問。こんな悲惨な戦争へと国民を駆り立てたトップ軍人たち。「戦後、日本人は彼らの責任をどう追及したのか?」との問い。追及どころか御神体となり靖国神社に祭られている、と返答。これたま大ショックだったようです。

“魔法の杖”(統帥権)を握っていた大本営・参謀本部の頭脳明晰な軍人官僚たち、総勢50名。誰一人、東京裁判でも裁かれることはなくスルー。黙して語らず。戦後も戦前同様に悠々自適だったとか。彼らの中で何人、広島原爆記念館を訪れたヒトがいただろうか。疑問です。

 今日、1個の原爆で14万人が死亡しました。合掌。


■ 手足を縛られたボクサー どう戦う?! 8月1日

今日から8月。間もなく広島・長崎の日、そして玉音放送の日がやってきます。その日の翌々年の正月、私は生まれた。団塊の世代の私たちも今やシニア世代。年金受給者。時が流れましたネ。

さてさて、GHQの「憲法」を未だに日本の憲法と信じ、その理想を一字一句まで死守しようとする人々。バカも休み休み言え…世界の現実を直視せよ。と、そろそろ一部改正へ向けて準備しようとする人々。
規則や制約が多すぎる有様を「手足を縛られたボクサー」と表現した方がいました。なるほど納得。憲法改正を当たり前の論争として公共の場で出来るまでに70年の時間を要してことになります。イイ時代になりましネ。

さて、あなたがボクサーならどうしますか。手足を縛られてでもリングに上がりますか。その結果を予測できますか。


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