2010年6月5日土曜日

理想と現実の狭間で考えるべき大切なこと




「食はトスカナに在り」とか、イタリア料理の本場、中部トスカナ地方へ行ってきました。古都グレセトから車で1時間ほと山岳地へ入った処にある避暑地モントベリイに滞在しました。周囲はオリーブとブドウ、そして有機農園が延々と続くド田舎です。丘の上に大きな樫の木が一本。その根元に小さなプレートが一枚。意味深長な言葉が記されていました。

We Will Never Understand Why !

どう訳せばいいのでしょうか。決して諦めない…と言う強い意志が伝わってくる重い言葉です。私は「必ず夢を実現する」と解しました。滞在先のオーナーによれば、その地へ移り住み、原野を開拓・開墾。何度も困難にあった。理想(ユメ)か現実(カネ)かの狭間で悩み、気持ちが揺れ動く。いっそ、土地も事業も手放し、都会へ移り住む方が楽だ。そんな時、丘の上の樫の木の下で考える。自分にとって人生の目的は何か。何が大切なのか。自分の気持ちと向き合う。そして、何とかここまで来れた。目標を見失わずそこそこ事業も成功できた。これからも何度も悩み、苦しみ、困難と出会うだろうが、この言葉と向き合ってゆく。そう力強く語ってくれました。

あえて難しい道を選ぶより、楽な道を選ぶ。困難と向き合って努力するよりも、さっさとその場から逃げ去る。そんな楽な生き方の方がイイ。上はいい歳の政治家から下は年若い学生まで、楽な生き方を選ぶ日本人が多い。グチを言わず、自分の生き方を理屈で合理化せず、困難と向き合う。現実に流されず、理想を捨てず、強い意思を持って生きる。そんな生き方をしたいものです。

2 件のコメント:

  1. 講座でご一緒したeleanorです。

    We will Never Understand Why!

    私にはこの言葉は「何故なんだ?」と問うても「答えはない」、人は「在るべくして、今、在る」のであって「今、在る現状を受け入れ、今を生きる。他に生きる理由なんぞない」、「神に何故?」と問うても答えはない、とも受け取れるかなと思いました。「我思う、故に我あり」と通じるかもしれません。「will」という「意志」を示す単語が使われているので違うかな・・でも「will」は絶対意志にもつかわれますよね・・・

    この年齢になると「生きる」という意味が若い時とは違ってきます。人間は間違った考え、行動、感情を持ち続ける不完全なものでしょうから、死が訪れる瞬間まで自分を磨いていく(心身ともに)・・・それが生きるということかなと思っています。困難にあってくじけることも、現実にむきあわざる得ないことも、理想とかけ離れることもあるでしょう。それが人生であり、ただそれを恨まず、後悔せず、怒らず、肩肘をはらずに是として受け止め黙々と生ききる・・・それが「人間」として生きること、「人生」なんだと思っています。

    と書いていたら「なんだ宮沢賢治と同じか?」と思いました。

    昨今の中高年は子供や若者の手本にはならに言動をとることが多いような気がします。子供や若者に恥じないように気をつけたいものです。

    長々と失礼しました。(丁度、私のブログで紹介したリトル・トリーの世界と通じるものがあったもので冗舌となってしまいました。)

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  2. scargo80:00:00

    この道を行けばどうなるものか。
    危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
    踏み出せばその一足がみちとなり
    その一足が道となる。
    迷わず行けよ、行けばわかるさ

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