47の物語から成る旧約聖書の冒頭は有名な創世記です。アブラハムから始まる親子3代の族長物語。その舞台となったのがチグリス・ユーフラテス川に栄えたメソポタミア文明。現在のイラクの地です。アメリカ軍はその地に7年間進駐。1兆ドルの巨額な戦費を投入。4500人の若者(アメリカ人)が戦死。その30倍とも40倍とも言われるイラク人が死んだとされます。2001年9月11日のNY多発テロ事件に端を発した二つのブッシュ戦争の一つ。もう一つは現在も進行中のアフガンです。アメリカの都合で侵攻。彼らの都合で撤退。「イラクの自由作戦」と命名されたその戦争が2010年8月31日で終了しました。両国ともに得たものは何もなく、失ったものばかり。悲惨な結末です。アメリカはベトナムから何を学んだのでしょうかネ。
とは言え、イラク側にも責任の一端はあるのでは…と私は思っています。その訳はアラビア人の不可解さです。なぜ、あの時(7年前)、フセイン(イラク大統領)はブッシュ(アメリカ大統領)が疑惑を招くような不思議な言動を繰り返したのか。なぜ、有りもしない核兵器(?)をさも有るが如く、思わせぶりな態度を取ったのか。フセインは駆け引き上手なアラビア人の英雄。ですから、その得意な駆け引きに自ら溺れたのでしょう。まさかアメリカが本気で攻めて来るとは思わなかったのかも知れません。フセインもブッシュも払った代償は計り知れぬほど大きい。傷跡を癒すには長い時間がかかるに違いありません。
理屈好きで駆け引き上手なアラビア人気質について、私は体験的に学習したことが多々あります。二十代後半、フィリピンの国立大学に勤務していた頃のことです。訳あってイラク人の中年男性と半年ほどルームメイトだった時期があります。当時、彼はイラク首都バクダット市内の小学校の校長先生。教育学博士号を取得するためフィリピンへの国費留学者でした。
ある日、私の私物であるタイプライター(今では見かねない代物ですが…)を貸してくれと言われました。気前よく貸したのですが、その後、何度催促しても返してくれる様子が全くありません。シビレを切らした私は、彼が留守中、私の机の上にタイプライターを戻しました。使用中、彼が帰ってくるなり、猛烈に怒り出します。「なぜ私の許可なく、勝手に戻し、使っているのか」と言うのです。要するに占有権と使用権とを分け、使用権のある彼の方が優先されるべきだと言い張るのです。
万事、これに類した理屈っぽい話しが数多くありました。私との駆け引きを彼は楽しんでいるようにも見えました。それに加え、朝夕、コーランを英訳して聞かされます。イスラム教とキリスト教の考え方の違いが少しは分かったので為になったのですが、宗教談義にヘキヘキした頃、彼は他のイラク人留学生と一緒に住むことになり、引っ越して行きました。ホットしましたネ。その時の開放感は何とも言えず、独りで祝杯を挙げた程です。英語が上手だった彼、アブラハム・ラヒム氏は今頃、どこで、何をしているでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿