2012年7月10日火曜日
I Shall Return ダグラス・マッカーサー一族の執念と怨念
久々に面白い日本映画(DVDですが)を観ました。『日輪の遺産』です。浅田次郎著の長編小説を映画化したもの。3万人強が観たヒット映画(2011年)とか。ノンフィクション的かナ…(?)とも思われる場面が隋所に織り込まれた映画。ワクワク・ドキドキしながら観ました。
内容は、太平洋戦争終戦末期。"マッカーサー財宝"を巡る極秘作戦。陸軍将校と20名の女学生の運命。映画の中で何度が引用されているのがシャクスピアの名言。すなわち『人生とは、歩き回る影法師のようなもの。哀れな役者だ。 出番の時だけ舞台に登場し、見栄をきったり、わめいたり。 あとは静かに消えてゆくだけ』
"マッカーサー財宝"のルーツとされるのは実はフィリピンで未だに語り継がれている『ヤマシタ財宝』。旧日本陸軍の軍資金。日本軍が東南アジア(主にビルマ)から徴発したゴールドやプラチナ。それをシンガポール経由でフィリピンへ。そして、日本本土へ海上輸送。その途中で"消滅"したとされる幻の埋蔵金のこと。ルソン島北部に隠匿したとする説。ラオニオン湾で沈没した潜水艦の中にあるとする説。アメリカ側の言い分は違っており、もともと、アメリカ植民地時代にマッカーサー家をはじめ多くのアメリカ人起業家一族がシュガーやニッケルで長年蓄財したモノ。日本軍がコレヒドール島(マニラ湾にある要塞)を電撃侵攻した時、米軍が島に保管しておいたモノを"機関"が持ち去ったとする説など諸説あります。戦後、米軍も独立間もないフィリピン政府も血眼なって探索した。が、ついに見付らなかった。莫大な財宝は闇の中に消えた。そんな都市伝説化しているのが実態。
日本軍の"機関"が国内に持ち込んだとする説には更に幾つか枝分かれしている。例えば、その一部は終戦末期に関東北部の山中に隠匿したとする説、日本ではなく、マニラ⇒香港へ持ち出したのだとする説など。今でも時々、怪しげな"儲け話"として浮上。M資金とかY資金と称する話しで、小金持ちが被害者になる詐欺事件が後を絶たない。まさに亡霊化した埋蔵金なのです。
映画『日輪の遺産』では旧陸軍の造兵火工厩(多摩火薬製造所)に終戦末期に隠匿。戦後、米軍が発見。GHQ最高司令官マッカーサー将軍が「このカネはもともと我が一族のモノだ」という台詞があります。映画はフィクション。でも、日本軍の侵攻でフィリピンから撤退を余儀なくした彼は"I shall return" (必ず戻らねばならぬ)と言ったとか。その背景には相通じる何か一族の執念と怨念を感じます。今でも、この場所(東京多摩の稲城市)は名目上は米軍弾薬庫として現在も接収されたまま。立入禁止。数年前、この場所が米軍幹部のゴルフ場として使われており、その維持管理費を日本政府が負担する<思いやり予算>と称する中から支払われていることが判明。チョットした社会問題になりました。
フィリピン方面総司令官山下奉文大将はルソン島北部の山岳都市バギオで囚われ、早々に裁かれ、「何も言うことなし、時が語ってくれる」の一言を残し、マニラ郊外モンテンルパ収容所で処刑されます。一方、マッカーサー将軍は厚木飛行場へ降り立ち、横浜山下公園前のホテルニュウグランドに滞在。横浜滞在中、多摩の造兵火工厩を視察している。何故なのか。やがて将軍は"元帥"へ。ダグラス・マッカサーと言う"軍人"は第二次世界大戦で最も成功したビジネスマンと言われています。その理由は…。謎の多い人物です。
~人生とは、歩き回る影法師のようなもの。哀れな役者だ。 出番の時だけ舞台に登場し、見栄をきったり、わめいたり。 あとは静かに消えてゆくだけ~
2012年6月7日木曜日
「ブルータス、お前もか」の場所? 事実は小説より奇なり!
"Et tu, Brute?"(ブルータス、お前もか)。これは親しいヒトからの裏切りを意図するラテン語の格言。この言葉を有名にしたのは劇作家シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』。クライマックスでの名台詞です。古代ローマ時代末期の皇帝カエザル(英語名シーザー)が腹心の部下ブルータスに暗殺された時の最後の言葉だとされています。シェイクスピア劇では"議会"の場で刺殺されたことになっています。その方が"劇的"なのですが、諸説あって、それほどドラマティックではないとのこと。その一つがデヴァレ川沿いにある古代ローマ史跡、カンポ・ディ・フォーリ広場。それも広場隅にあるトイレがその場だというのです。シーザーがトイレ中に何者(ブルータス?)かに刺殺された。それが有力な説だというのです。<事実は小説より奇なり>とはよく言ったものです。写真は広場隅のそのトイレ。古代ローマの地面は今よりも6Mも深い処にあったそうです。
実は5月上旬、30数年ぶりにローマを訪れました。滞在10日間。数日、フリーディーがあり、知人の紹介で知り合ったドクター夫妻が「プルータス、お前もか」の場所へ案内してくれました。ご主人はフランス人なのですが趣味が"古代ローマ史研究"だというのですから驚きます。iPadを片手に詳しい解説付きで半日ガイドしてくれました。例えば、日本人観光客にも知られる「ムーア人の噴水」で有名なパンフィーリ宮殿。当時はプール施設だったとのこと。古代ローマ時代の建造物の中で唯一、当時のままの建物はパンティオンだけ。何とローマ時代に4回も増改築を繰り返し、今の状態になった。などなど、面白い話しをたくさん話してくれました。
チョット感動したのはトレヴィの泉近くの路地裏にある間口の狭いイタリヤ料理店。30数年前、ヒョンな事からご主人にとても親切された思い出の場所です。なんと今でも営業中。さすがに代替わりしおり、現在は息子さん。オヤジさんは2005年に他界したとのこと。そのまた路地の奥にあった小料理屋の店先看板。イタリヤらしいホットする言葉がチョーク書きされていました。著名な劇作家の言葉とのこと。いわく…
~最高に素晴らしい生き方とは、モラルやルールに縛られず、自由に自分らしく、好きなモノを好きなだけ食べて生きることだ~
2012年3月12日月曜日
「外」から観る日本人と「内」から観る日本人
昨年9月、インド訪問の時、お世話になったフランス人から長文のメールがありました。震災後1年目の日、死亡した人々へ思いをはせ、被災した人々の事を思い、祈りを捧げた。「日本人なら必ず立ち上げれる」といった励ましの内容でした。
彼は現在、国際的なスパサービス運営会社(本社パリ)のインド支店マネージャー。旧フランス領の街ポンディシェリー郊外にあるスパホテルに勤務。若い頃はさぞイケメンだったであろう。どこかで観かけたことのある顔。その筈です。20代頃は映画俳優。数回訪日したこともあるとか。六本木や麻布に詳しい。そして、彼は"日本通"。何と"The Dignity of the Nation"(国家の品格)も読んでいる。この本は日本人が書いた辛口の日本論としてベストセラーになった。著者は有名な数学者、お茶の水女子大の藤原正彦(元ケンブリッジ大教授)。日本で出版される前に英語本が出版されことでも話題なった。フランス語の翻訳本もあるとのこと。
彼はその本から引用。日本人の精神文化のコアは『卑怯の伝授』(Teaching Baseness)だと強調。つまり、日本人が最も嫌いなことは「卑怯な行為」であり、最も恥ずかしいことは「卑怯者になる」こと。このことを親から子へと継承する精神文化がある。だから、今回の東日本大災害で被災者への深い思いやり、情け深い行い、助け合う心遣いがあった。これは<卑怯の伝授>が根っこにあったからだと彼は思っているようです。そうかも知れないが、そうでないかも…。彼のメールを読みながら、私は「申し訳ない」気持ちで一杯になりました。
何故ならば、この一年、私は彼とは違う日本人観を抱くようになったからです。とりわけ「あの人はリーダーだ」と思われるヒトに卑怯者が多い。平気で白々いいウソを言う。自分の言葉や行動に責任を取らない。恥ずかしくないのか…と聞いてみない。そんなヒトに限って、この1年、好んで口にしたのが『絆』です。この響きが次第に汚染化されゆくのを感じたのは私一人ではない筈です。今となればウソっぽい言葉の代名詞です。
例えば、2千253万トンある被災地の瓦礫。この1年でたった6%しか処理されていない。例えば、震災原発直後に立ち上げた6つの対策本部。一国の大臣6名が連日連夜、膝詰めで話した会議録がたったの70余ページ。誰が何を言い、誰が何を決めたのか、サッパリ解らない。これが「絆」の結果です。
偉いヒトほど変。この一年、偉くない普通のヒトも「チョット変だナ」と思うことがことが多い。身勝手で無責任な大人たち。彼らが多数派になった時、どんな国になるのか。それが怖い。今からでも遅くはない。少なくとも子孫たちには「日本人なら卑怯者になるな」と言い続けましょう。
2012年2月23日木曜日
チャップリンは一体誰だったのでしょうか
1952年、米国FBIの要請を受け、英国情報機関MI5が喜劇王チャーリー・チャップリン(1889-1977)の素性調査をした。が、本名、出生地、幼少時の諸事など、何一つ確認できなかった。そんな機密指定の文書が、先日、情報公開された記事が新聞に載っていました。"赤狩り"でアメリカを追われ、スイスへ移住。ローザンヌで没したチャップリン。ヨーロッパへ亡命(?)する直前までお忍びで暮らしていた小さな家がカリフォルニア中部にあります。図らずもその家を見学したことがあります。小柄だった彼のベットは小さく、室内の調度品他の装飾は意外にも地味でした。ロリータ・コンプレックスだったとされる彼は十代の少女とその家で邂逅の時を過していた。暖炉の上にはそんな日常を映したプライベート写真が数枚、無造作に飾られていました。その場所は、米国カリフォルニア、サン・シモン郊外にある通称ハースト・キャスル(Hearst Castile)です。
自称"プール研究家"のワタシは「凄いプールがある」と知れば何はさて置いても観に行くことにしています。
ハースト・キャスルには、世界一とされるネプチューン型プールがあります。このプールは桁外れの豪華さ。何せタイル貼りの一部は古代ギリシャやローマの神殿や遺跡から買い集めたモノを使用。長さ約34メートル、深さ1~3メートル。昔は温水プールで更衣室だけでも17あったとか。その当時、米国の出版マスコミ界のドン。大富豪ウイリアム・ハースト(1863-1951)の大邸宅として100年前に建造されたものです。贅の尽くし方が半端ではない。邸宅にはもう一つ、母屋内にローマ風の屋内プールがある。こちらは25メートルで深さは3メール。全てベネチアングラスのタイル貼りです。
この大邸宅は小高い丘と森に囲まれており、その片隅にヒッソリ佇む小屋がチャップリンが少女と過ごした場所。戸口には"Charlie's"とだけ記された名札が下がっていました。
ベストセラー『私の自叙伝』によると、チャーリー・チャップリンはロンドン生まれ、両親ともストリップ劇場で働く芸人。その後、両親は離婚。父はアル中で、母は精神の病で、共に施設で死亡。独り残された彼は、どん底に喘ぎ、孤児院を転々とした。生きるために理髪屋・印刷工・ガラス職人などなど転職を繰り返した。14歳の時、たまたまミュージックホールでのチョイ役で出たパントマイム劇でスカウト。その後、大スターへと駈け上がる。ハリウッド映画での活躍はご存知の通りです。
しかし、アメリカ政府はチャップリン映画の社会に与える影響力を恐れた。共産主義のスポンサーに違いないと疑い、イギリス政府へ素性調査を依頼したわけです。結局、詳しく調べたが何もかもが不明だった。彼は一体誰だったのだろうか。何者だったのか。彼の心の闇に潜んでいたヒトは誰なのか。謎が謎を読んでいます。敷地内に彼専用の小屋を立て、好き勝手に住まわせていた程ですから、家主ハーストはチャップリンとかなり親しかった。同じユダヤ系の祖先だったことも理由の一つ。大富豪でありながら成り上がる前の素性が謎に包まれていること、共に少女好みの性癖を持っていたことも類似している。
トレードマークの窮屈な上着にダブダブのズボン、黒い口髭、山高帽と竹のステッキにドタ靴という独特のチャップリン・スタイル。パントマイムで笑いと涙を、そして、皮肉った社会への怒りを心に届けてくれました。何はともあれ、代表作「タイムライト」のラストシーンでの台詞が大好きです。
2012年1月11日水曜日
あなたは岩手・宮城・福島のどれ?
昨年末、CNNがまとめたパラダイムシフト(物事の見方や考え方の変化)を起こした3つのビック・ニュースの一つとして東日本大震災を取り上げました。死者不明者1万9千人。避難者33万人。あの日からもう少しで一年です。三重苦(地震・津波・原発)に喘いでいる日本はどこへ向かって歩んでゆこうとしているのでしょうか。残念ながら"オールジャパン"は掛け声だけで政治も行政も未だに足並みが揃っていません。しかし、被災地の岩手・宮城・福島は少しずつ歩みだしているようです。つまり、岩手県は総花的な復旧を目指して…。宮城県は選択的な復興を目指して…。福島県は、復旧でもなく復興でもなく、何も決められず、ただ立ち往生しているように見えます。被災地にも格差が生じているわけです。
今ではピーク時の15分の1に激減したらしいボランティア活動。年末年始、知人たちが車持参で被災地(石巻)へ。先日、彼らからボランティア活動の体験談を聞きました。一人は今回で三度目。もう一人は初めて。ベテランは前回に比べ「格段に処理が済んでいる。スゴイね…」と言う。ルーキーは「想像以上でショックだった。何も進んでないヨ…」と語気を強めた。が、両人とも「意外だったナ~」と言ったのは、パチンコ店の繁盛ぶり。被災を免れたラッキーなお店の繁盛ぶりでした。若い頃、米国留学した彼は「アリゾナのど田舎のカジノを思い出したヨ」と一言。つまり、先住民保護区にあるカジノは政府支給の特別生活給付金を手にした人々で賑わっている風景にどこか似ている、と言うのです。カジノやパチンコの良し悪しの話しではない。先が見通せないやるせなさ。情けない想いで時を過ごす。憂さを晴らすことで明日へのエネルギーを得るヒトもいれば、それがアダとなり、立ち上がる気力を失うヒトもいる。あれもこれも運命の悪戯。何とも言えません。ある日、突然、かけがいのない大切なヒトやモノを失う。生き甲斐や目標や目的を見失ったとしたら、ヒトはどのような選択と行動をとるか。他人事ではない。
ところで、第三次補正予算12兆円が計上。うち復興費9兆円がいよいよ被災地で動き出します。土木・湾岸・建築関連業界は活気立っています。そして、これまでガレキの陰に隠れていた"利権屋サン"たちも堂々と顔を出し始めました。未来の地方自治がどうあるべきかを示唆することなります。被災地のリーダーたちの動きに世間の注目が集まっています。つまり、岩手は"痛み分け"の復帰を目指す「復旧」へ。宮城はトラブル覚悟で取捨選択する「復興」へ。そして、福島は何も決めず何も決まらない「往生」へ。それぞれの背景や条件が違うので姿勢が異なる。がしかし、リーダーの決断と実行が、5年後、10年後、その後の展開に格差が生じることは間違いない。まさに岩手・宮城・福島の中に今後の日本の姿が集約されているわけです。さて、あなたなら復旧か・復興か・往生か。どれを選びますか。
ちなみに、東日本大震災の他にCNNが世界を変えたビックニュースとしたのは、エジプトのムバラク政権の崩壊。つまり、ソーシャル・ネットワークが原動力となり、北アフリカから中東に広がった"アラブの春"です。もう一つはオサマ・ビンラディンの急襲。パキスタンに潜伏していた国際テロ組織アルカイダのリーダーを米海軍特殊部隊が殺害した出来事。余計な事ですがあまりにもタイミングがよ過ぎますネ。この3つの出来事で世界はどのように変わってゆくのでしょうか。だから…今年はどんな年にしなければならないのでしょうか。あなたはどう思いますか。
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