2015年8月31日月曜日
就活面接の今昔
就活面接解禁(8月)。今月末で内定率70%(東証1部上場会社)とか…。どの業務もどの会社もフレッシュな若者を望んでいます。特に環境変化に前向きなガッツのあるヒト。素直で、元気なヒト。出来れば勉強好きなヒトが欲しい。
昨今、面接で聞かれる最も多い質問は…「最近気になるニュースは何(WHAT)ですか?」「そのワケは(WHY)?」「それへの貴方の意見(COMMENT)は?」なのだそうです。①社会への関心、②地頭の良さ(インテリジェント)、③コミュニケーション能力、が面接官側の合否判断の“ポイント”とのこと。
さて、今も昔も“定番”的な面接質問は、 自己分析(長所短所)・企業研究(選択理由)・自己PR(何をどうしたいか)・志望動機(どこが気に入っているか)・立ち振る舞い(お行儀の良し悪し)。以前と異なる点は、 エントリーシートとグループディスカッション。就活プロたちが指導する訓練セミナーもあると聞き、ビックリ。何でもビジネスになのるですネ。
どんな業種や会社を選べばイイのか。極論ですが、もし、神さまから、どの道を選んでも、何をしても、“君なら必ず成功する”と未来宣告されたらどうするか。何を選ぶか。何をしたいか。そのワケは…。一度、自問自答してみることをお勧めします。古今東西、どの道を選んでも、何をしても、決して楽ではない。なら、好きな道で好きな事をして生きることを選ぶ。それが一番です。ガンバレ!
以前、米国の経営学者が言った「日本的経営」の3つの特徴(終身雇用・年功序列・企業別組合)。いずれも今や瓦解。一人が一業務一企業で定年まで勤務できるのはよほど幸運か悪運のヒトのみ。普通はステージ毎で変化に対応した勤務。転職か独立か。いづれも心身の強さと変化を恐れない前向きな姿勢が必要です。私たちの若い頃とはそこが違う。今の方が大変と思いきや実は今の方がズーッとイイ時代。チャンスがある。
自分はどんな能力を身に付けたいのか。そのワケは…。それを自ら鍛え、高めるには…。今、何をすべきか。
2015年8月25日火曜日
9つ上の兄没 逝く者は裂くが如し
メディアのおくやみ記事。興味深く読んでいます。当然ながら、その道で活躍貢献した方々。が、なぜ(?)と思う方も時々いる。利害が絡んだメディア側の事情があるのでしょう。どんな背景があるのかなど勝手に想像しながら読んでいます。スポーツ界の著名人、平均寿命以下で亡くなる方が意外に多い。
さて、私の兄(今野均)がガンで死去。享年77歳。ボクシング指導が生き甲斐でした。晩年はボクササイズやエアボクシングの普及に努めていたようです。生前「父(享年86歳)より長生きしたい」と言っていたのですが、叶いませんでした。
“波乱万障”と言えば聞こえがイイのですが、兄の生き方は、夫としても、父としても、決して褒められたものではない。ただ、とても明るい性格でお話が上手。社交的。良くも悪くも、好き勝手に生きた自由人でした。
東京上野の大病院。最上階は延命医療を望まないガン患者のみ。個室が多い。担当医が心音・脈・瞳孔を診て小さな声で「ご臨終です」。胸に迫る言葉。安らかに眠るように旅だって逝きました。
そして、町屋斎場(東京荒川)へ。日平均50体。火葬は1体40分弱。スピート化が求められているのでしょう。大型斎場は都内に他6ヶ所あるとこのと。広い駐車場は終日満車。高齢化社会を浮き彫りにした光景です。大変な混雑ぶりでした。
合掌
明日(2015年8月28日)で初七日。
兄の人生、周囲への迷惑を顧みず、好きな道を勝手に歩んだヒトでした。生前、「後悔なし」と言っていたようです。なにせ生涯ボクシング“一筋”でしたから…。そのせいか心臓が強く「危篤宣告」後5日間も生きました。寝ずに看病した親族はさぞ大変だったことでしょう。周囲から助けれ、同時に、たくさん迷惑も掛けた77年間でした。
今毎、どこかで両親や兄たちと再会。好きなビールでも飲みながら、積もる話しに華が咲いていることでしょう。
合掌
2015年8月3日月曜日
facebook 8月より
■ 宇宙人の謝罪 8月13日
韓国訪問中の鳩山元首相。ソウル市内、抗日運動の象徴的な跡地で土下座謝罪。政府要人が“憂国の志士”となりご一行で靖国参拝する。その逆パターンと考えればそれも良し。思想・表現の自由。十人十色です。
“Trust Me” “最低でも県外” “CO2/25%削減” “国家予算14兆円削減” などなど、宇宙人的発言で話題になったお坊ちゃん。またか?…とさすがメディアも呆れ顔。村山元首相や河野元自民党総裁もご一緒で土下座をすればニュース性が少しアップしたかも…。
やっぱり宇宙人。ご立派…。
■ イタリアでの広島原爆式典 8月11日
40数年前、フィリピンで3年間、暮しました。初めての8月、マニラ下町でバケツ一杯の水を掛けられました。大声で叱声“Kora-Kora Kenpei-Tai”。道端の人々の冷たい目での笑い顔。今でも忘れません。イタリアとは大違い。イタリヤ・ドイツとは三国同盟の仲。そんな関係があるのかも…。
【8月6日】この日、毎年イタリアで行われている”原爆式典”の事を日本国民のあなたは知っていましたか?
後ろから水をザバーッと掛けれた事よりも、ポケットの中に入れていた自慢のストップウォッチ(SEIKO製)がダメになった。その事の方が悔しかった。思い出です。
I shall return…で有名なマッカサー将軍、フィリピンは因縁の地です。米軍は徹底攻撃。日本軍は援軍・食糧・何もかもなし。祖国から見捨てられた。兵士11万5000人、民間人2万5000人、計14万人がルソン島北部へ。絶望的に追い詰められた。そんな中での惨劇が多い。その種の事は、当時、たくさん見聞きしました。
■ 二人なら 2個の原爆は避けられたかも 8月10日
ファシズム時代の後半に登場。太平洋戦争を象徴する陸海二人のトップリーダー。共通項は開戦消極派。が、いざ開戦が決まると、いずれも最前線へ。主流積極派から睨まれ、左遷の連続。
が、米軍は二人を恐れた。常に居場所を把握していた。もし、二人が“魔法の杖”側(東京)にいたら、降参のタイミングを早めに模索。広島・長崎へ至ることはなかったであろう。残念。
■山本五十六 1941年、真珠湾攻撃。“トラトラトラ”の命令を発した連合艦隊司令長官。1943年、東南アジア・ブーゲンビル島上空で戦死。享年59歳。
■山下 奉文 1942年、シンガポール攻略の陸軍司令長官。“マレーの虎”の名称で知られた。1944年、フィリピン防衛線へ。1945年、ルソン島バギオにて降伏。囚人服のまま絞首刑。享年61歳。
山下が囚人服のままで絞首刑台へ登る時。米軍の係員が「日本は間違った戦いをした?」「反省しているか?」との問いに「歴史が判断する」とだけ答えたと言われています。望まぬ戦いを凛として戦った彼の心境はいかほどだったのか。 マニラ郊外モンテンルパに山下大将が没した場所があります。1970年、お詣りしたことがあります。
マニラ軍事裁判は終戦の3ヶ月後、1945年10月から2年間開かれ、毎月3名づつ、計69名の日本軍人が絞首刑になりました。最後の絞首刑者は1947年4月。彼らは「祖国のため…」と必至に戦った。それが絞首刑に値する罪だったのでしょうか。負けると言うことはそう言う事です。不条理。
■ 二つの写真が問う、何故こうなったのか 8月9日
今日は2個目の原爆投下日。1個目(広島)はウラン型。2個目(長崎)はプルトニウム型。原料が異なる二つの元素を一気に使用。そのワケは何だったのか。広島で14万人、長崎で6万人。この数日で20万人の民間人が死亡。戦後、米国は、この“正当性”をこう説明してきた。つまり、本土決戦ともなれば、その数倍の死傷者が出る。沖縄戦を見れば、その悲惨さが容易に想定できると…。終焉を日本側に決断させるため、止むを得なかった…と。
確かに、日本全土を焦土化してもイイ。“一億総玉砕”と大声で騒いでいた時期です。米国側の言い分も一理あります。
二つの有名な写真。長崎での「焼き場に立つ少年」。沖縄での「白旗を掲げた少女」。日本史の中で最も異様な15年。ファシムズの時代。ここまで日本人を追い込んだワケは何だったのか。何故、そう成ったのか。一人ひとり、70年前の事を考えてみなければなりません。
■ 負けを想定しなかった 軍国主義の末路 8月6日2
坂の上に“もう一つ”の雲があるかも知れない。そう思った昭和の大作家、司馬遼太郎。“魔法の杖”( 統帥権)を持った大本営司令部・参謀本部のエリート軍人たちの中に、小説のモデルになる人物がいるかも…。日露戦での秋山好古・真之の兄弟のような人物、つまり、終戦してからの次なる新時代を考えた日本人がいるのでは…。小説になり得るヒトを探したが、誰一人見つからなかった。
満州事変から終戦までの15年間、日本史の中でも異質なファシズムの時代。彼らエリート軍人たちは日本人の仮面を被った別の人種だったのかも知れません。本土決戦と称して、国が焦土化し、滅んでもイイと考えていたのですから…ね。
詳しくは こちらへ ↓↓↓
http://junkonno1.blogspot.jp/2014/08/15.html
統帥権とは三権(立法・行政・司法)を凌駕した特別権限。何でも出来ることから“魔法の杖”と称される。「これが目に入らぬか…」と言えば、皆がひれ伏す。まるで水戸黄門さんの“印籠”と同じ。このスーパー権限を総勢50名のエリート軍人たちが独占的に多用した。が、誰一人、どうすれば戦いが終わるか。降参するタイミングはいつか。その後の祖国ニッポンはどうすればイイのか。など終焉を考えるヒトがいなかった。それが最悪の事態を招いた大きな原因です。
■ 地上初 1個で14万人が死亡 8月6日
今日は人類史上初、原爆が使用さた日です。3日後、長崎へ。そして次は新潟へ。そんな計画だったようです。今、世界中には1万7000個あると推測されています。が、戦後70年、実践投下されたの2個(広島・長崎)のみ。
過日、訪日した知人夫婦(イスラエル人)。広島原爆記念館を訪れ、大ショックだったようです。真顔で質問。こんな悲惨な戦争へと国民を駆り立てたトップ軍人たち。「戦後、日本人は彼らの責任をどう追及したのか?」との問い。追及どころか御神体となり靖国神社に祭られている、と返答。これたま大ショックだったようです。
“魔法の杖”(統帥権)を握っていた大本営・参謀本部の頭脳明晰な軍人官僚たち、総勢50名。誰一人、東京裁判でも裁かれることはなくスルー。黙して語らず。戦後も戦前同様に悠々自適だったとか。彼らの中で何人、広島原爆記念館を訪れたヒトがいただろうか。疑問です。
今日、1個の原爆で14万人が死亡しました。合掌。
■ 手足を縛られたボクサー どう戦う?! 8月1日
今日から8月。間もなく広島・長崎の日、そして玉音放送の日がやってきます。その日の翌々年の正月、私は生まれた。団塊の世代の私たちも今やシニア世代。年金受給者。時が流れましたネ。さてさて、GHQの「憲法」を未だに日本の憲法と信じ、その理想を一字一句まで死守しようとする人々。バカも休み休み言え…世界の現実を直視せよ。と、そろそろ一部改正へ向けて準備しようとする人々。
規則や制約が多すぎる有様を「手足を縛られたボクサー」と表現した方がいました。なるほど納得。憲法改正を当たり前の論争として公共の場で出来るまでに70年の時間を要してことになります。イイ時代になりましネ。
さて、あなたがボクサーならどうしますか。手足を縛られてでもリングに上がりますか。その結果を予測できますか。
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■ 日本人とドイツ人の違い 7月27日
日本人より日本語が上手な外人。久しぶり来日。お会いしました。開口一番「いよいよ日本も“憲法改正”ですかネ!?」とのこと。今年は戦後70年。GHQが作成した“憲法”を一字一句修正できない日本。この間、同じ敗戦国だったドイツは59回も改正修正を繰り返した。この違いが今、問題視されているのです。
ヒットラーたちはドイツ人ではない。人種が違うナチ人だ。そうキッパリ言い切る今のドイツ人。一方、東条秀樹たちを靖国神社へ入れ、御神体。未だに政府首脳陣たちがお詣りする日本人。結局、靖国も自衛隊も同じこと。形式と実体が異なっているにも関わらず、改正も修正もしない。何事も曖昧にする日本人気質。これが諸外国からみると“変”なワケです。
昨年、アルゼンチンの片田舎にいた92歳の元ナチ兵(ユダヤ人収容所の監視員)をドイツへ収監、裁判で終身刑したドイツ人。20数年間。グアム島やルバング島で“戦闘行為”をしていた日本兵。彼らを大歓迎で迎えた日本。この違いをどう解釈するか。何故、そう考えるのか。それがハッキリ説明できない今の日本人、それが問題なのです。
真珠湾から広島・長崎までの3年8ヶ月。日本兵310万人。民間人はその倍(?)。中国・朝鮮、東南アジアでも同様。戦争とはそういう事です。誰しも容認できないが、各地で未だに戦火が止むことはない。ご承知の通り、これが現実です。これからの日本。GHQの“憲法”を盾に「関係ない」と知らん振りできない。どうするニッポン!
■ 反知性主義者の言動 7月18日
戦後レジュームからの脱却。ヤルタ・ポツダム体制や制度の終焉です。日米安保体制を見直すその背景は…。日本のアジア太平洋における役割とは…。これからの日本を考え7月 反知性主義者 国会議事堂る大きな転換点です。このレポートはとても分かり易い。ぜひ、戦後史に疎い若い世代に読んで欲しい。
山口二郎法政大教授「60年安保で岸政権を退陣に追い込み、戦争に巻き込まれずに済んだ」
反自民も自民右派も同じ。冷静な状況認識も現実感覚もない。柔軟な思考に欠けた“反知性主義者”の政治家たち。彼らを選んだ私たちが“反知性的”なのかも知れません。
■ 千里の道も一歩から 7月15日
安保関連法案、衆院特別委可決。戦後70年、憲法改正へ向け、小さな一歩が踏み出されたことになります。
首相安部晋三の家系図には戦後史に名を残す大物政治家が多い。中でも“昭和の妖怪”と称された岸信介は祖父。日米安保体制を成立。60年(昭和35年)安保騒動を乗り越えた首相。祖父が踏み出せなかったその一歩を子から孫へと引き継がれ、55年後、やっと踏み出した事になります。
ソビエトの崩壊。米国の弱体化。中国の巨大化。世界は大きく変りました。アジアのリーダーと思いきや、今や脆弱化へ向かっています。どうなるニッポン…。ガンバレ日本…。
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