2016年3月30日水曜日

47年ぶりの再会


■ 人気の観光スポット 3月30日2

 半世紀ぶりに訪日したご夫婦。今回の旅で「最も印象に残ったのはどこ…」と訊いてみました。何と瀬戸内海の小島にある美術館。現代アートが島中に点在する「ベネッセアート直島」。日本を代表する建築家、安藤忠雄が手掛けた美術館として有名ですネ。そして、空海の里「高野山」。宿坊に泊まったとのこと。

いずれも私は行ったことがありません。呆れ顔で「本当に貴方は“Japanese”なの?}と叱られました。いずれ一度訪れます。ハイ…。

広島では民宿泊。宮崎映画のモデルになった町とのこと。調べてみたら“Ponyo on the cliff”(崖の上のポニュ)の町だと分かりました。福山市の“鞆の浦”。宮崎映画のファン。大感動だったようです。

観光スポットの定番。京都や奈良は、あまり興味がない様子でした。浅草も同じ。やはりインターネットの時代です。来日するまでにネットで情報を収集。ある意味では、日本人よりも最新の詳しい観光情報を得ている様子でした。




■ 渋谷で会食 3月30日


 帰国前日の昨夜、渋谷ハチ公前で待ち合わせ。会食しました。昨日は快晴。都内の桜の名所は一斉に開花。最高のシーズンに来日しましたネ。半世紀ぶりの日本訪問を満喫したようです。

共に名門スタッフォード大医学部卒。ご夫婦で医師。長年、大病院勤務。懸命に働き、4人の子を育て、今は4人のお孫さんに恵まれている。慰労を兼ねて日本への旅。いい2週間だったようです。
「次は紅葉の時に…また来たい」とのこと。楽しい夕食でした。

私たちは戦後間もなく生まれた。米国では“The Baby Boomers”と言い、日本では“団塊の世代”と言われます。親世代よりこの世代は豊かな生活環境が実現した。が、子世代は厳しい生活環境がある。そして、親世代は高齢化。以前より長く世話しなければならない。加えて、子世代も以前より長く支援しなけれならない。上と下とに挟まれた苦労の多い世代でもある。米国では“The Sandwich Generation”と言うのだそうです。日本も米国も、取り巻く世代環境はあまり変わっていないようです。そんな話をたくさんしました。勉強になりました。

日本酒は滅多に飲まないのですが、お店の方の勧めるままに辛口一献。銘柄は忘れましたが抜群にウマイお酒でした。安部首相のお国(山口県)のお酒とのこと。オバマ大統領が来日した時、このお酒を飲んだらしい。お店の方がそう説明してくれました。本当に美味しい日本酒でした。





■ 人気の旅館 稼働率100% 3月19日

47年ぶりの奥さん、ご主人は初来日。何かと細々と世話をやく奥さん。仲良しご夫婦です。新幹線で大阪へ。奈良・京都を巡り、次は広島・宮島へ。そして、東京へ戻る。さて“Ryokan”に泊まりたいとのこと。欧米人に人気の上野・谷中周辺の宿はどこも稼働率100%。3ヶ月先まで満室とのこと。ビックリ…。この先、オリンピックを控え、どうなるのでしょうか…。どこかお勧め“Ryokan”を知っている方、教えてください。


■ あの日の思い出 3月18日

向三軒両隣。古典落語で聞く言葉ですが、半世紀前、実家があった仙台下町ではまだこの言葉が“生き”ている時代でした。

我が家に若くてベッピンは“外人さん”が来た。すぐに町内中に知れ渡り、大ニュースになりました。好奇心の強い“外人さん”だったので軽い気持ちで「着物を着てみたい」(?)と言ったのでしょう…。それが向こう三軒両隣へ、ヒトからヒトへと伝播し、次第に大袈裟なり、思わぬ人々が動き出す。いつの間にか“振袖”ではなく本格的な“花嫁衣裳”に大化けします。母親の大の親友だった美容院の女将さんがリーダー。貸衣装屋さんやカメラ好きの伯父さんまで巻き込んだプロジェクトになります。もちろん、全員ボランティア。外人さんに花嫁衣裳を着せ、写真撮影することになりました。私の役目は床の間の掃除。前夜から拭き掃除しました。
あの時、大騒ぎして撮影した写真は、私の手元には一枚もありません。落語のような出来事。半世紀前の思い出です。

この騒ぎから程なくフィリピンへ旅立ちました。写真を頂けたのか否か、よく覚えていません。残念ですね。


■ アメリカ女性の知性と行動力 3月17日2


半世紀前、東京滞在中。私の実家(仙台)へお連れした事があります。両親が大歓迎で迎えてくれました。お袋自慢の漬物や煮物など“田舎料理”を美味しそうに食べてくれた。何と当時の実家の住所や両親名を覚えてくれていた。それが、今回、再会できる重要な情報になりました。両親は生前、この若いアメリカ女性の知性と行動力がよほど印象深かったようで「今ごろあの人はどこで何しているかネ~」と思い出していたようです。

スーッと後になってから、アクアの仕事で彼女の故郷(ニューメキシコ州アルバカーキ)を訪れる機会がありました。この街で生まれ育ったのか…と感激。彼女は単なる英語の先生ではなく、私にとってはアメリカ人を象徴する存在でした。今回、半世紀ぶりの再会なのですが、時の隔たりを全く感じさせない不思議な時間でした。青春の思い出は今もフレッシュです。


■ 半世紀ぶりに再会 3月17日

47年ぶりに再会。この女性が私の英語の先生。アメリカ女性の考え方や生き方など多くを学びました。

当時、スタッフォード大の医学生。休学して東京に滞在していました。今回、ご主人と一緒に来日。ご夫婦で医師。半世紀の“空白”が感じられない程、楽しい一時でした。

友人がアレンジしてくれた会食の場所。東京タワーの下、こんな素晴らしい処があるとは、さすが大東京です、スゴイ…。





■ イイ事は突然訪れる 2月17日


イイ事は突然訪れる。今日はそんな日です。

半世紀前、私の英語の先生だったアメリカ人。久しく音信がなかった。渡米の際、いつもどうしているのだろうか...とよく思い出しました。当時、彼女は医学生。休学して日本へ。東京に18ヶ月滞在しました。間もなく帰国。復学。私もフィリピンへ。次第に消息が分からなくなりました。

今回、様々な人々を介して、近々、彼女が訪日するとを知りました。47年ぶりに再会します。胸が躍ります。その後、どんな人生を歩んだのか。どんなヒトになっているのか。今からお会いするのが楽しみです。

SNSはスゴイ。彼女に辿り着きました。ドクターになっていました。病院に勤務後、今は開業医。ヤッパリ。聡明な方でしたから…


2015年12月17日木曜日

どうなる?この国…ジャパン


イタリアからの帰路便はハティハド航空(Etihado Airways)。初めて利用する会社でした。アラブ首長国連邦(UAE)の国営航空会社とのこと。世界屈指の大金持ち国。機内誌に『お金持ちになる10の習慣』なる記事が載っていました。それは…

1.シンプルで質素な生活。
2.モノではなく自分自身に投資する。
3.時間とお金を大切にする。
4.モノより経験にお金を使う。
5.お金は使用より貯蓄を優先する。
6.お金は増やすために使う。
7.自分から先に他人に尽くす。
8.決断を常に早くする。
9.不要なコトにはお金を使わない。
10.アイデアを常に考え、実行する。

記事の終りには…「アイデアは誰にでもある~だた考えているだけではダメ~大切なのは〝実行〟~実際にカタチにしなければ〝価値〟(お金)は生れない」と…。数年前、国王一族が渡米、デスニーランドを貸切にした事がニュースになりました。さずが大富豪が言う言葉には〝説得力〟があります。見習いたいものです。

帰路便の楽しみは邦画鑑賞。が、今回は一本もなし。ガッカリ。アジア系は韓国・中国・インドのみ。こんな些細な事ですが時代の変化を痛切に感じます。かつて“Japan As Number One”と持てはやされた時代が懐かしい。失われた20年は大きいネ。この首相交代16人。経済成長率+0.1%。GDP実質-0.7%。何も決めず、先送り…。さて、2年後、消費税10%へ。が、しかし、不可解な軽減税率とやら…。結局、お得意の中庸折衷で決着。1兆円が消えた。これで社会保障は更に雲の上へ。欧州の中で社会保障の整備が遅れているとされるイタリアであっても消費税20%。どうなる…この国ジャパン?!

2015年9月5日土曜日

facebook 9月より



■ 二つの数字が世界を変えた 9月11日

この二つは世界の震撼させた数字。9・11はアメリカで、3・11は日本で起きました。ヒトはどう生きるべきか。人生で最も大切な事は何か。生き方や考え方に大きな影響を与えた日です。あの日、あなたはどこにいましたか。何をしてましたか。あの出来事から何を学びましたか。長く記憶しておきましょう。


■ 怪しい名称「マイナンバー」 9月10日

 江戸時代から過去帳があった日本。今の戸籍。しかし、個人の資産管理までは至っていなかった。遅ればせながら、いよいよ来月から始まる“マイナンバー”。人をバカにした“変な名称”ですが要は「国民総背番号制」の導入。大賛成。隠し資産や預金などがあるヒトは困る。が、そうないヒトは便利。特に人口減少に伴う高齢化社会の暮らし向きに影響大。社会保障制度(医療・厚生・介護・福祉)の公平さを図る上からも必須。問題は個人情報の管理ですね。何せ、彼らは“前科持ち”が多い厚生労働省関連分野の人々ですから、言葉だけではとても信用も信頼もできません。

 マイナンバーとは、アメリカで言う「社会保険番号」に似てたモノ。本来なら所得(収入)を受け取る時、銀行口座(クレジット)を開設する時、病院で初診の時、旅券を申請する時、納税する時、還付を受け取る時、などに必要です。日本の場合、アメリカほど厳密ではない。個人情報の管理体制も未だ責任が不明確。中途半端。そこが問題です。

全く理解できないのは、マイナンバー使用での消費税還付。いよいよ来年からの二桁へ突入する消費税問題。飲食品の軽減措置のこと。マイナンバーで管理するとは何事ですか。大反対です。財務省官僚の良過ぎる頭脳には困ったものです。カネは見えるが、世間が見えない。どうなるニッポン!


■ 弱いヒトへのシワ寄せ   9月5日


ヨーロッパでは、シリア難民の悲惨な現状が大問題。避難民を過剰に乗船。ボロ船が人の重さで沈没。ヨーロッパに流れ着いた遺体の数々。女性と幼児が多い。臭いモノに蓋。観て見ない振り。それでいいのか?…いまEU(特にドイツとフランス)で苦悩中。何が出来るか…。これが現実です。

一方、アジアではどうか。急成長で巨大化したチャイナ。“抗日戦線勝利”を記念した軍事パレード。戦後処理を協議した「ヤルタ会談」には中国代表として蒋介石が出席したハズ。が、いつの間にか毛沢東になってたんですネ。知らなかった。これも“歴史認識”の違いなのでしょう。

ヒトの優劣差 気にする程の差はない 


誰にでも父母二人の親がいます。その親たちにも、当然ならが、双方に二人いる。
一人には必ず二人が要る。つまり、2の二乗。
20乗もすれば軽く1億人を超える。

次の子孫へのDNAの引き継ぎを仮に20年とすれば400年。今から400年前は江戸中期。赤穂浪士の頃。そんなに遠い時代ではない、つまり、私たち一人ひとりには途方もない人々のエネルギーが関わっている。種々雑多のDNA。優劣混在。だから一人ひとりの優劣差など取りに足りない。


生れる前より生まれてからが重要。生きる姿勢。物事の考え方。誰から影響を受け、誰に影響を与えたか。それがヒトの素養と資質を決めるポイント。誰一人、生まれつき優れたヒトはいない。逆に誰一人生まれつき劣っているヒトもいない。その事をシッカリ認識しておかねばなりません。

生き方のビックツリーを習慣づけ、実行する。それが何よりも大切です。すなわち…

┃前向きな姿勢┃素直な心┃勉強好きな日常┃

2015年8月31日月曜日

就活面接の今昔


就活面接解禁(8月)。今月末で内定率70%(東証1部上場会社)とか…。どの業務もどの会社もフレッシュな若者を望んでいます。特に環境変化に前向きなガッツのあるヒト。素直で、元気なヒト。出来れば勉強好きなヒトが欲しい。

昨今、面接で聞かれる最も多い質問は…「最近気になるニュースは何(WHAT)ですか?」「そのワケは(WHY)?」「それへの貴方の意見(COMMENT)は?」なのだそうです。①社会への関心、②地頭の良さ(インテリジェント)、③コミュニケーション能力、が面接官側の合否判断の“ポイント”とのこと。

さて、今も昔も“定番”的な面接質問は、 自己分析(長所短所)・企業研究(選択理由)・自己PR(何をどうしたいか)・志望動機(どこが気に入っているか)・立ち振る舞い(お行儀の良し悪し)。以前と異なる点は、 エントリーシートとグループディスカッション。就活プロたちが指導する訓練セミナーもあると聞き、ビックリ。何でもビジネスになのるですネ。

どんな業種や会社を選べばイイのか。極論ですが、もし、神さまから、どの道を選んでも、何をしても、“君なら必ず成功する”と未来宣告されたらどうするか。何を選ぶか。何をしたいか。そのワケは…。一度、自問自答してみることをお勧めします。古今東西、どの道を選んでも、何をしても、決して楽ではない。なら、好きな道で好きな事をして生きることを選ぶ。それが一番です。ガンバレ!

以前、米国の経営学者が言った「日本的経営」の3つの特徴(終身雇用・年功序列・企業別組合)。いずれも今や瓦解。一人が一業務一企業で定年まで勤務できるのはよほど幸運か悪運のヒトのみ。普通はステージ毎で変化に対応した勤務。転職か独立か。いづれも心身の強さと変化を恐れない前向きな姿勢が必要です。私たちの若い頃とはそこが違う。今の方が大変と思いきや実は今の方がズーッとイイ時代。チャンスがある。

自分はどんな能力を身に付けたいのか。そのワケは…。それを自ら鍛え、高めるには…。今、何をすべきか。

2015年8月25日火曜日

9つ上の兄没 逝く者は裂くが如し


メディアのおくやみ記事。興味深く読んでいます。当然ながら、その道で活躍貢献した方々。が、なぜ(?)と思う方も時々いる。利害が絡んだメディア側の事情があるのでしょう。どんな背景があるのかなど勝手に想像しながら読んでいます。スポーツ界の著名人、平均寿命以下で亡くなる方が意外に多い。

さて、私の兄(今野均)がガンで死去。享年77歳。ボクシング指導が生き甲斐でした。晩年はボクササイズやエアボクシングの普及に努めていたようです。生前「父(享年86歳)より長生きしたい」と言っていたのですが、叶いませんでした。

“波乱万障”と言えば聞こえがイイのですが、兄の生き方は、夫としても、父としても、決して褒められたものではない。ただ、とても明るい性格でお話が上手。社交的。良くも悪くも、好き勝手に生きた自由人でした。

東京上野の大病院。最上階は延命医療を望まないガン患者のみ。個室が多い。担当医が心音・脈・瞳孔を診て小さな声で「ご臨終です」。胸に迫る言葉。安らかに眠るように旅だって逝きました。

そして、町屋斎場(東京荒川)へ。日平均50体。火葬は1体40分弱。スピート化が求められているのでしょう。大型斎場は都内に他6ヶ所あるとこのと。広い駐車場は終日満車。高齢化社会を浮き彫りにした光景です。大変な混雑ぶりでした。

合掌


明日(2015年8月28日)で初七日。

兄の人生、周囲への迷惑を顧みず、好きな道を勝手に歩んだヒトでした。生前、「後悔なし」と言っていたようです。なにせ生涯ボクシング“一筋”でしたから…。そのせいか心臓が強く「危篤宣告」後5日間も生きました。寝ずに看病した親族はさぞ大変だったことでしょう。周囲から助けれ、同時に、たくさん迷惑も掛けた77年間でした。

今毎、どこかで両親や兄たちと再会。好きなビールでも飲みながら、積もる話しに華が咲いていることでしょう。

合掌

2015年8月3日月曜日

facebook  8月より



■ 宇宙人の謝罪 8月13日


韓国訪問中の鳩山元首相。ソウル市内、抗日運動の象徴的な跡地で土下座謝罪。政府要人が“憂国の志士”となりご一行で靖国参拝する。その逆パターンと考えればそれも良し。思想・表現の自由。十人十色です。

 “Trust Me” “最低でも県外” “CO2/25%削減” “国家予算14兆円削減” などなど、宇宙人的発言で話題になったお坊ちゃん。またか?…とさすがメディアも呆れ顔。村山元首相や河野元自民党総裁もご一緒で土下座をすればニュース性が少しアップしたかも…。

やっぱり宇宙人。ご立派…。



■ イタリアでの広島原爆式典 8月11日


40数年前、フィリピンで3年間、暮しました。初めての8月、マニラ下町でバケツ一杯の水を掛けられました。大声で叱声“Kora-Kora Kenpei-Tai”。道端の人々の冷たい目での笑い顔。今でも忘れません。イタリアとは大違い。イタリヤ・ドイツとは三国同盟の仲。そんな関係があるのかも…。

 【8月6日】この日、毎年イタリアで行われている”原爆式典”の事を日本国民のあなたは知っていましたか?

 後ろから水をザバーッと掛けれた事よりも、ポケットの中に入れていた自慢のストップウォッチ(SEIKO製)がダメになった。その事の方が悔しかった。思い出です。

I shall return…で有名なマッカサー将軍、フィリピンは因縁の地です。米軍は徹底攻撃。日本軍は援軍・食糧・何もかもなし。祖国から見捨てられた。兵士11万5000人、民間人2万5000人、計14万人がルソン島北部へ。絶望的に追い詰められた。そんな中での惨劇が多い。その種の事は、当時、たくさん見聞きしました。


■ 二人なら 2個の原爆は避けられたかも 8月10日


ファシズム時代の後半に登場。太平洋戦争を象徴する陸海二人のトップリーダー。共通項は開戦消極派。が、いざ開戦が決まると、いずれも最前線へ。主流積極派から睨まれ、左遷の連続。

が、米軍は二人を恐れた。常に居場所を把握していた。もし、二人が“魔法の杖”側(東京)にいたら、降参のタイミングを早めに模索。広島・長崎へ至ることはなかったであろう。残念。

 ■山本五十六 1941年、真珠湾攻撃。“トラトラトラ”の命令を発した連合艦隊司令長官。1943年、東南アジア・ブーゲンビル島上空で戦死。享年59歳。

 ■山下 奉文 1942年、シンガポール攻略の陸軍司令長官。“マレーの虎”の名称で知られた。1944年、フィリピン防衛線へ。1945年、ルソン島バギオにて降伏。囚人服のまま絞首刑。享年61歳。

山下が囚人服のままで絞首刑台へ登る時。米軍の係員が「日本は間違った戦いをした?」「反省しているか?」との問いに「歴史が判断する」とだけ答えたと言われています。望まぬ戦いを凛として戦った彼の心境はいかほどだったのか。 マニラ郊外モンテンルパに山下大将が没した場所があります。1970年、お詣りしたことがあります。

マニラ軍事裁判は終戦の3ヶ月後、1945年10月から2年間開かれ、毎月3名づつ、計69名の日本軍人が絞首刑になりました。最後の絞首刑者は1947年4月。彼らは「祖国のため…」と必至に戦った。それが絞首刑に値する罪だったのでしょうか。負けると言うことはそう言う事です。不条理。


■ 二つの写真が問う、何故こうなったのか 8月9日

今日は2個目の原爆投下日。1個目(広島)はウラン型。2個目(長崎)はプルトニウム型。原料が異なる二つの元素を一気に使用。そのワケは何だったのか。広島で14万人、長崎で6万人。この数日で20万人の民間人が死亡。

戦後、米国は、この“正当性”をこう説明してきた。つまり、本土決戦ともなれば、その数倍の死傷者が出る。沖縄戦を見れば、その悲惨さが容易に想定できると…。終焉を日本側に決断させるため、止むを得なかった…と。

確かに、日本全土を焦土化してもイイ。“一億総玉砕”と大声で騒いでいた時期です。米国側の言い分も一理あります。

 二つの有名な写真。長崎での「焼き場に立つ少年」。沖縄での「白旗を掲げた少女」。日本史の中で最も異様な15年。ファシムズの時代。ここまで日本人を追い込んだワケは何だったのか。何故、そう成ったのか。一人ひとり、70年前の事を考えてみなければなりません。



■ 負けを想定しなかった 軍国主義の末路 8月6日2

 坂の上に“もう一つ”の雲があるかも知れない。そう思った昭和の大作家、司馬遼太郎。“魔法の杖”( 統帥権)を持った大本営司令部・参謀本部のエリート軍人たちの中に、小説のモデルになる人物がいるかも…。

日露戦での秋山好古・真之の兄弟のような人物、つまり、終戦してからの次なる新時代を考えた日本人がいるのでは…。小説になり得るヒトを探したが、誰一人見つからなかった。

 満州事変から終戦までの15年間、日本史の中でも異質なファシズムの時代。彼らエリート軍人たちは日本人の仮面を被った別の人種だったのかも知れません。本土決戦と称して、国が焦土化し、滅んでもイイと考えていたのですから…ね。

 詳しくは こちらへ ↓↓↓
http://junkonno1.blogspot.jp/2014/08/15.html

 統帥権とは三権(立法・行政・司法)を凌駕した特別権限。何でも出来ることから“魔法の杖”と称される。「これが目に入らぬか…」と言えば、皆がひれ伏す。まるで水戸黄門さんの“印籠”と同じ。このスーパー権限を総勢50名のエリート軍人たちが独占的に多用した。が、誰一人、どうすれば戦いが終わるか。降参するタイミングはいつか。その後の祖国ニッポンはどうすればイイのか。など終焉を考えるヒトがいなかった。それが最悪の事態を招いた大きな原因です。

■ 地上初 1個で14万人が死亡 8月6日


今日は人類史上初、原爆が使用さた日です。3日後、長崎へ。そして次は新潟へ。そんな計画だったようです。今、世界中には1万7000個あると推測されています。が、戦後70年、実践投下されたの2個(広島・長崎)のみ。


過日、訪日した知人夫婦(イスラエル人)。広島原爆記念館を訪れ、大ショックだったようです。真顔で質問。こんな悲惨な戦争へと国民を駆り立てたトップ軍人たち。「戦後、日本人は彼らの責任をどう追及したのか?」との問い。追及どころか御神体となり靖国神社に祭られている、と返答。これたま大ショックだったようです。

“魔法の杖”(統帥権)を握っていた大本営・参謀本部の頭脳明晰な軍人官僚たち、総勢50名。誰一人、東京裁判でも裁かれることはなくスルー。黙して語らず。戦後も戦前同様に悠々自適だったとか。彼らの中で何人、広島原爆記念館を訪れたヒトがいただろうか。疑問です。

 今日、1個の原爆で14万人が死亡しました。合掌。


■ 手足を縛られたボクサー どう戦う?! 8月1日

今日から8月。間もなく広島・長崎の日、そして玉音放送の日がやってきます。その日の翌々年の正月、私は生まれた。団塊の世代の私たちも今やシニア世代。年金受給者。時が流れましたネ。

さてさて、GHQの「憲法」を未だに日本の憲法と信じ、その理想を一字一句まで死守しようとする人々。バカも休み休み言え…世界の現実を直視せよ。と、そろそろ一部改正へ向けて準備しようとする人々。
規則や制約が多すぎる有様を「手足を縛られたボクサー」と表現した方がいました。なるほど納得。憲法改正を当たり前の論争として公共の場で出来るまでに70年の時間を要してことになります。イイ時代になりましネ。

さて、あなたがボクサーならどうしますか。手足を縛られてでもリングに上がりますか。その結果を予測できますか。