2010年6月22日火曜日

フロリダの海が泣いてる



来週から米国フロリダへ出張です。それもメキシコ湾岸のサニベルと言うところ。フォートメイヤと言う有名な避暑地の近くです。海カメの産卵地でもあり、朝夕、イルカが泳ぐ綺麗な海岸です。日中、運がよければマナティーを観ることもできます。が、メキシコ湾岸は史上最悪の原油流失事故で世界中が騒いでいます。海水が変質しているかも知れません。サニベルは事故現場からかなり離れており、フロリダ半島への原油流失の南下はまだ起こっていないらしい。とは言え、英国BP社(ブリティシュ・ペトロリアム)の言い分の10倍以上が流失しているうようですから、海カメもイルカもマナティーを近寄らなくなる恐れがあります。なにせ4月から今までの間に原油が流れ出た量は少なく見積もってもエンパイヤステートビルの容積の半分以上だと言うのですからネ。

BPは既に事故現場を修復することは不可能だと思っているのでは・・・。湾岸漁業の救済もハナからその気はないのでは・・・。そして、莫大な資産を何とか合法的に他社へ移し、BPは倒産への準備を始めているのでは・・・などなど噂が多い。つい数日前、BP会長スパンべり氏が美女(?)をはべらせカリブ海でヨット遊びをしている様子が米国新聞社によってスッパ抜き報道されました。ヤッパリ・・・と米国人の怒りは高まる一方です。過日、ホワイトハウスに呼び出されたその老人の苦渋な顔つきとヨット上でのニヤけた顔つき。とても同一人物とは思えません。大金持ちのやる事、考え方や感じ方など、所詮、私たち下々の者には到底理解できません。

ところで、つい先日、逮捕された商工ローン業界に君臨したドン的存在のSFCG(旧商工ファンド)会長。BP会長に比べれば、恐竜と昆虫ほどのスケールの違いがあるようですが、カリスマ経営者として世間から高く評価されていた点では共通しています。世間の評判とやらも案外当てになりませんね。

2010年6月19日土曜日

聖地ギザロ峠の掟




自転車に興味ない人はどうでもイイことですが、イタリアとフランスは世界の二大王国。中でもイタリアは、サッカーだけでなく、自転車の世界でも群を抜いています。天才的なロードレーサーを次々に輩出しているだけでなく、高い技術力を誇る小規模なメーカーが多い。

イタリアの伝説的な人物にレアルコ・ギエラ(Learco Guerra)というヒトがいます。絶頂期だった1930~1934年までの5年間、メジャータイトルを独り占め。長い現役時代を通じて負けたのは数回しかない。1963年、61歳の若さで没しました。彼の生涯は波乱万障。男らしく生きた不屈の精神の象徴とされ、尊敬すべき人物として今でもランクインするほとです。例えば、イタリア選手権(Giro d' Italia)やフランス選手権(the Tour de France)の優勝者だけが着れる栄光のジャージがなぜピンク(イタリヤ)やイエロー(フランス)なのかというと、ギエラが初優勝時に着ていたジャージの色がたまたまソレだったから…。それくらい後世に影響を及ぼした人物なのです。

ギエラへの敬意と彼の思想を次の世代へ伝えようと多くの自転車好きの人々がコツコツと30年間、建設資金への募金を集め、ついに2000年に完成したのが自転車博物館(Cycling Museums in Italy)です。世界唯一。それも彼が現役時に修練の場とした"聖地"に立てられました。この地がミラノ郊外にあるギザロ峠です。自転車好きなら一度はチャレンジしなければならないとされる急勾配の細くて長い峠道です。2007年11月、聖地ギザロを訪れました。私の場合、恐れ多く、その資格も体力も気力もなく、知人の車に乗ってのギザロ詣でした。

峠には小さな教会があり、歴代チャンピョンたちの超高級な愛用車がズラリ献納されています。が、展示を外されたモノも数車あり、「不名誉につき」とその理由が短めに記されていました。また、教会の脇にある博物館の入り口にはギエラの愛用車が展示されています。案外、粗末なモノで大小無数のキズがあり、ハンダ付けした跡すらあります。名誉と不名誉の境はわずかですが天と地ほどの違いがあるように感じました。

国技とされる日本の相撲。外人横綱を「品格がない」と退陣へと追い込んだのはつい先日のことです。それが現役三役を含み、親方までもが、暗黒街の資金源になるであろう賭博行為に関与していたとは…。その現状認識の甘さにはアキれるばかりです。さしずめイタリアならマフィアに関与したことは厳しく処罰されるようですから「不名誉につき」の札付きでギサロ峠から外されることでしょう。日本の場合はどうか。国技は別格扱いされ、穏便な処置とやらで済まされるかも知れません。少なくとも国民の税金で建設された両国国技館です。関取に限らず、不名誉なヒトたちが大手を振って出入りしてもらっては困ります。

2010年6月15日火曜日

世界一の笛の音で南アW杯が始まる


ゴルフもサッカーも一度もしたことはありません。したいと思ったことすらありまりません。が、何故か、マスターズやワールドカップには興味があり、できるかぎりTV観戦をします。世界最高のゲームには背景や周囲に様々なドラマがあり、それが魅力なのかナと思っています。南アでのW杯、予想に反し(?)カメルーン戦での日本チームの大健闘。当分、夜更しが続きそうです。


2006年9月、ブラジルへ。知人の住むボルト・アレグレ(南部の大都会)を訪れました。この地は寒く、何と冬季にはコートが必要で、数年に一度は小雪がチラつくという場所です。知人は、ご多分に漏れず、大のサッカーファン。地元クラブ(インテルナシオナル)の親子三代での株主とか。気のない私をムリやりクラブハウスへ連れて行き、長身の選手とツーショット。その一枚です。そのチームは、同年12月、横浜で開催された2006年度トヨタ杯(FIFAクラブワールド選手権)で優勝。そして、その選手はチーム主将、フェルナンドンという超有名なストライカーだと後日知りました。


そのブラジルの知人が来日。東京の外人向け観光スポットの定番、浅草界隈へ連れて行った時のことです。彼はぜひ「世界一の笛」を買いたいと言い出します。そう言われてもチンプンカンプン、事情が飲み込めず、いろいろ探し回りますが、浅草に世界一の笛など売っていません。不満そうな彼は、日本製のフツウの笛を数個購入。帰国の途につきました。


後日、彼が言う通り、その世界一の笛は東京下町(葛飾区)にあることを知りました。それは"Noda's Whistle"と言われる、知る人ぞ知る、極上品。町工場的な小さな会社(野田鶴声社)の自慢の製品であること。卓越した職人が造る手作り品であるとこ。世界中のサッカー国際A級審判員の愛用品であること。そして、今回の南アでのW杯でもその笛は公式採用されており、そのホイッスルの音でゲームが始まり、その音でゲームが終る。世界一の笛で世界最高のゲームが取り仕切られているわけです。

2010年6月8日火曜日

今やフードもエコカルチャー



イタリアも決して景気がイイわけではないのですが、環境・文化・健康を横断的にカバーするコンセプトでのフード(食物)とエクササイズ(運動)はどこも繁盛しており面白い。

今回、出会ったのはニンジンやカボシャなど野菜で作ったジェラード。これが美味い。もう一つはライスとフルーツの和え物。リンゴやナシ(?)など果物との混ぜご飯スープ。酢味があり冷たい。これも触感が新鮮で実に美味しい。

こんなチョット変わったヘルシー(?)なモノを食べさせてくれるレストランがミラノから汽車で1時間ほどのド田舎にありました。仮オープンなのだそうですが結構賑わっていました。昼間のみ営業。完全予約制とか。

2010年6月5日土曜日

理想と現実の狭間で考えるべき大切なこと




「食はトスカナに在り」とか、イタリア料理の本場、中部トスカナ地方へ行ってきました。古都グレセトから車で1時間ほと山岳地へ入った処にある避暑地モントベリイに滞在しました。周囲はオリーブとブドウ、そして有機農園が延々と続くド田舎です。丘の上に大きな樫の木が一本。その根元に小さなプレートが一枚。意味深長な言葉が記されていました。

We Will Never Understand Why !

どう訳せばいいのでしょうか。決して諦めない…と言う強い意志が伝わってくる重い言葉です。私は「必ず夢を実現する」と解しました。滞在先のオーナーによれば、その地へ移り住み、原野を開拓・開墾。何度も困難にあった。理想(ユメ)か現実(カネ)かの狭間で悩み、気持ちが揺れ動く。いっそ、土地も事業も手放し、都会へ移り住む方が楽だ。そんな時、丘の上の樫の木の下で考える。自分にとって人生の目的は何か。何が大切なのか。自分の気持ちと向き合う。そして、何とかここまで来れた。目標を見失わずそこそこ事業も成功できた。これからも何度も悩み、苦しみ、困難と出会うだろうが、この言葉と向き合ってゆく。そう力強く語ってくれました。

あえて難しい道を選ぶより、楽な道を選ぶ。困難と向き合って努力するよりも、さっさとその場から逃げ去る。そんな楽な生き方の方がイイ。上はいい歳の政治家から下は年若い学生まで、楽な生き方を選ぶ日本人が多い。グチを言わず、自分の生き方を理屈で合理化せず、困難と向き合う。現実に流されず、理想を捨てず、強い意思を持って生きる。そんな生き方をしたいものです。