2014年12月27日土曜日

そのヒトへ 聴かせたかった この一曲


今年も残り少ない。街行く人々はどことなく忙しなく早足で歩いています。そんな仕事納めの寒い朝。電車が来ません。駅のホームに“人身事故”の赤文字サインが出ました。

どんな深刻な事情があったのか…知る由もありません。が、自ら命を絶つ程、重要なことがあるのでしょうか。そんな世の中なのでしょうか。笑って生きてこそ人生…。電車を待ちながら“スマイル”のメロディーが脳裏に浮かびました。こんな日に電車に身を投じたヒトへ。この曲を聴かせたかった。もしかして、思い止まったからも…。


Smile even though your heart it is aching
微笑んで、たとえ君の心が痛んでも
Smile even though it's breaking
微笑んで、たとえ破れても
When there are clouds in the sky
空に雲が立ち込めても
You'll get by
君ならきっと切り抜けられるから
If you smile through your fear and sorrow
恐れる事も悲しい事も乗り越え、微笑むなら
Smile and maybe tomorrow
微笑んで、そしてたぶん明日には
You'll see the sun come shining through for you
君のために輝いてくれる太陽を見るだろう
Light up your face with gladness
訪れる喜びに君の顔を輝かせて
Hide every trace of sadness
どんな悲しみの跡も見せずにいよう
Although a tear may be ever so near
たとえ今すぐにも涙しそうだとしても
That's the time you must keep on trying
そんな時にこそがんばり続けて
Smile, what's the use in crying
微笑んで、泣いたってどうにもならない
You'll find that life is still worthwhile
人生にはまだ生きる価値があることを君はわかるはず
If you'll just smile
もしも微笑もうと思うなら
Smile...
微笑んで



この曲“スマイル”(Smile)は『モダン・タイムス』(Modern Times)のラストシーンで歌われました。1936年のアメリカ映画です。チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画の傑作の一つ。

弱肉強食の資本主義社会。カネの力で人のココロが変る。人間の尊厳が失われ、機械の一部分のように扱われる。そんな切ない世の中を“笑う”ことで自らを救う。場末の酒場でインチキ外国語(フランス語?)で歌うシーン。

この映画も理由の一つとなり、彼は戦後(1952年)アメリカから追放される。20年後、再び同国の地を踏む契機となった第44回アカデミー賞授賞式のフィナーレ。彼がオスカー像を受け取る際、会場全員が総立ちになり大合唱したのがこの名曲です。


チャップリンは一体誰だったのでしょうか

2014年12月16日火曜日

スマホがZ世代の犯罪率ダウンへ


13才から19才まで、末語に“teen”が付くので十代(teenager)と言いますネ。なせかよく分かりませんが、この人々のことを昨今“Z世代”と言われています。

このZ世代の犯罪件数が年々減少傾向にある…と米国政府が発表。その要因の一つがスマホを介してのSNSだ…と言うのです。つまり、SNSに夢中。そのために時間の多くが“拘束”され、“悪の道”へ走るヒマがないのでは、と言うのです。そうなんですかネ(?!)。SNSの功罪がこんな面に現れている。ちょっと意外ですネ。

ところで、Z世代のオバマ大統領の娘。公式会見で“タメ口”で返答したらしい。聞苦しいと言葉の“乱れ”を嘆くヒト。逆に“親しみ”があってイイじゃないかと評価するヒト。交々。米国ではチョットとした話題のようです。

どう見ても「Z」ではないイイ歳のオトナが若者顔で“タメ口”で言う。頂けませんネ…こんなオトナ。ご注意ください。

2014年12月10日水曜日

Remember Pearl Harbor 


ニイタカヤマニノボレ

あの日(12月8日)から今年で73年目。もしあの“山”に登らなかったら、日本はどんな国になっていたのでしょぅか。

ノモンハン(満州)から広島・長崎までの正味6年間。軍人が政治の一切を仕切ったファシズムの時代です。長い日本の歴史の中でファシズムが幅を利かし、植民地政策を図ったのはごく限られた短い間だけ。なのに、今も対中国・韓国の外交の“足かせ”になっている。ご承知の通りです。

植民地「満州国」を知り屈していた筈の“陰”の帝王、甘利正彦は東京裁判直前に自害。死人に口なし。アヘンと塩を一手に仕切った里見甫はなぜか戦犯から外され。戦後、黙して語らず。メディアの“黒幕”として君臨します。「満州は私の“作品”」と言った高級官僚岸信介は終身刑から一転保釈。戦後は首相になった。その岸のお孫さんが安部晋三。いずれもエリート・ファミリーの出。

間もなく“アベノミックス”の是非を問う衆議院選挙(2014年12月14日)です。これからの日本、どんな歩みすればイイのか。ぜひ、若い世代の人々へ。棄権せず、投票所へ行って欲しい。日本はあなたの国なのですから…ね。“山”に登るのか降りるのか。10年後、若者の人生に少なからず影響するからです。

余談ですが、ハワイは今では、日本人が最も好きな海外観光リゾート。何と年間130万人が訪れるらしい。ちなみに、ベトナムを訪れるアメリカ人観光客は年間40万人。ナンバーワンとか。これは戦争の“功罪”の一つなのかも知れませんね。




いつからファシズム時代なのか。諸説あり「満州事件」(1931年)以降。つまり15年間だとよく言われます。が、初の国境紛争となった「ノモンハン事件」(1939年)を起点に本格的化した。これを機に陸軍対ロシア前線基地「関東軍」(旅順)が東京の管理下から事実上“独立”。独自の判断で歩み、東京はそれを黙認。なので実質6年間と言う見方もできます。

戦後、GHQ管理下のドサクサを経て、日本が米国から独立(1951年・サンフランシスコ講和条約)。それからも結局、戦争賠償その他のファシズム時代の“総括”が曖昧だった。それが今でも何かにつけて「歴史認識の違い云々」と中国・韓国から非難されてている訳です。

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2014年8月27日水曜日

租にして野だが卑ではない

租にして野だが卑ではない

金銭や名誉や地位を欲しがる人ほど卑しい。戦後を代表する実業家。三井物産社長から国鉄総裁へ転身した石田礼助の名言です。

接待ゴルフや料亭等での飲み食いを常とする高級官僚・政治家・大企業幹部へ。『偉ぶる人ほど卑しい人はいない』と冷水を浴びさせた。ついこの間まで日本には石田のような尊敬できる人がいた。本当に“偉い人”がいた。

数々の経済小説で有名な城山三郎も石田の生き方を小説(租にして野だが卑ではない)にしいます。その中で、どの業界でも指導的立場にあるヒトは世間から常に厳しい目で見られていることを覚悟しなければならない。

~相当、偉い人でも本人が卑しいと思ていない事でも周囲から見ると「卑しい行い」と思われることが多々ある。一端、この人は卑しい…と思われたら、そのレッテルを剥すことは終生難しい云々…と書いています。

石田の座右の銘...

 <激さず・騒がす・競わず・従わず>


今更遅いが、遅過ぎるは事はない。少しでも見習いたい。そう思っています。

2014年8月5日火曜日

facebook 8月 まとめ

***

生き方の7つのルール

1.過ぎ去った事は悔やまない。今に生きる。
2.他人がどう言うと気にしない。
3.時が全てを流してくれる。
4.他人と見比べない。批判しない。
5.考え過ぎない。答えが出ずとも良しとせよ。
6.幸せは誰でもない自分にしか創れない。
7.笑え。笑うことが唯一誰かの役に立つ。

美空ひばりの大ヒット曲「川の流れるように」とどこが似てますね。

知らず知らず 歩いて来た 細く長い この道
振り返れば 遥か遠く 故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏に 染まるだけ
***



この日の事はよく覚えています。昭和45年11月25日だったのですネ。私はマニラ(フィリピン)にいました。44年前です。

フィリピン大手新聞一面に大きな写真。床に“生首”がゴロリ…。ショックキングな写真でした。何故そうなったのか。海外在中だったので前後の詳しい事情は知りません。が、割腹した彼を日本刀で斬首したあの若者。同世代。その後、どんな人生を送ったのか。今どこで何をしているのか。気になります。

今は昔、今後の平和を維持するための国防の在り方。これまでとは大きく変化した東アジア情勢。日米安保の役割。集団的自衛権をめぐり賛否両論、意見が分かれています。今の日本、あのヒトならどう言うか…。訊いてみないですネ。

 
人の性格や性質を血液型で分類。生まれつきの“血”で生き方が決まるとは到底承服できません。が、言われて見れば、思い当たる節があるから不思議です。

さて、ロシアの小説家ツルゲーネスは大胆にもヒトを二つに分類。曰く、「ドンキ・ホーテ型」か「ハムレット型」か。
前者は理想主義者。現実より理想を重視。チョット向こう見ずだが行動派。後者は懐疑主義者。行動より思考を重視。石橋を叩く慎重派。言われて見れば、思い当たる節があるからこれも不思議ですネ。勿論、個人的にはドンキ・ホーテさんタイプが好きです。

あなたはどっちのタイプが好きですか。ドンキ・ホーテさん(?)それともハムレットさん(?)…。

過去の栄光への拘り。屁理屈の横行。“大英帝国”は病んでいた。大鉈を奮って国家改造したヒト。「鉄の女」。日本にもこんなヒト(女性)がいれば…。思い当たるのは独りだけ。安倍さんも恐れる“保守人”。桜井よしこさん。この病んだニッポンを治してほしい。

近々、阿部内閣改造とのこと。が、このヒトが入閣する可能性はゼロ。“人気者”大好きな自民党はこのヒトにだけは声を掛けなかった。腹の座り方が違う。怖いからネ。

そこがイギリスと日本の違いかな…

Honda Spirit

どのカンバニーもそれなりに創業者スプリットが残っている。が、ホンダは強烈。反骨精神。未だに“泥臭い”。そこがカッコいい。


過日、国内総会で出会った若者との立ち話。元気がイイ勉強したいので「本を紹介して欲しい…」とのこと。何を学びたいの(?)と訊くとショット困惑した顔で「生き方ですかネ」と言う。“重いナ~”と思いながら脳裏に浮かんだ一冊『ガルシアへの手紙』。

昔、キューバの領有権を巡ってアメリカとスペインが戦った時の実話。キューバ在住の反スペインの革命家ガルシアへアメリカ大統領の密書が送られた。何とローワンという無名の若き軍人に託さらた。ガルシアがどこにいるのか。どうすれば会えるのか。何もかもが不明。が、ローワンは無言で承諾。直ぐに旅立つ。そして、首尾よく任務を果たす。数週間後、何食わぬ顔で帰国。これまた多くは語らなかった。

今の若者が苦手とすること。が、最も求められていること。すなわち、不安定な状況の変化への対処。課題の探し方、行動の起し方、そして、期待された結果を出す。自分で考え、自ら行動し、目的を達成する。そんなエッセンスが短いストーリーの中に詰まった小冊子です。

あの若者から本日メール返信。どう生きればイイのか少し解りました…とのこと。よかった。頑張れヤングマン。

深夜、BSで「ビーチボーイズ・フォーエバー」と題した再放送番組を観ました。懐かしかった。

我ら≪団塊の世代≫にとっては、ビートルズ、ローリングストーン、そしてビーチボーイズは三大巨匠バンド。特にビーチボーイズは憧れのアメリカ西海岸の若者文化を象徴する存在でした。独特で軽快な明るいメロディーを聴きながら、青い海、ビギニの娘、サーフィン、オープンカーなどが似合うオシャレな街サンタモニカを連想。妄想で頭が一杯だった学生時代。が、ズーッと後になってから、仕事で、イングルウッドへ行く機会がありました。元リーダー、ブライン・ウィルソンらメンバーたちの出身地です。LA空港の裏側。何もない燦々とした淋しい街。“ビーチボーイズ”のイメージとは全く縁遠い処でした。こんな街にいた無名の若者たちが世界中を虜にしたあの“サーフィンUSA”など数多くの名曲を創ったのか…。意外でした。環境と発想は案外無関係なのかも知れませんネ。

番組の中で初老のブライアンがビアノ弾き語りで唄った四曲。齢相応の“枯れ声”がこれまた素晴らしかった。

NYブロードウェーで大ヒット。今もラスベガスでロングラン中だというビーチボーイズのヒット曲を集めたミュージカル『サーフ・ザ・ミュージカル』。機会があれば是非観たい。

夏休みを満喫中。

近所のクラブで一泳ぎ、そして、駅前の本屋をぶらり覗く。玄関正面にドカンと中国古典コーナー。一番薄くて字が大きい簡単そうな一冊を衝動買い。『論語』のダイジェスト版。昨夜読みました。面白かった。

論語は孔子の言葉や問答を、死後、弟子たちが思い出しながら編集したモノとのこと。“聖書”にどこか似ているナと感じました。さて、冒頭からどこかで聴き思えのある人生の三大原則が書かれていました。論語からの引用だったのか…と。つまり…。

~素直さ・勉強好き・前向きさ~

2000年以上前からヒトは同じ方向で生きていたのですネ。その他、聞き覚えのある有名な四字熟語がバラバラと出てきました。論語好きの方から叱られるかも知れませんが、要するに論語に繰り返し書かれている事は二つ。つまり…。

『礼』(礼儀)と『仁』(良心)

そう言えば、今の日本、偉い人ほどこの二文字が欠けています。ウソや不真面目さを上手に誤魔化す。そんな“偉いヒト”が多過ぎますネ。せめて私たち庶民は『礼』と『仁』を尊ぶ生き方をしたいものです。


終戦記念日、今年は69回目だそうです。

44年前の今日(1970年8月16日)。忘れられない思い出があります。当時、私はフィリピン水泳連盟のお抱えコーチの一人でした。マニラ市内にあった国立プールで朝練後、朝食へ。薄暗い路地裏を独り歩いてきた時です。“Hey! Jap!!”と声を掛けれた。後ろを振り向くと数名の若者がバケツを片手に立っていました。突然、バサ・バサ-ッと水を掛けられた。彼らの不気味な笑い顔。ゾーッとしました。後日知った事ですが、新聞トップ記事は靖国参拝。深々と頭を下げる日本人の写真がデカデカと載っていました。

戦後まもない頃(25年後)でしたから、まだ戦争の傷が癒されないフィリピン人が多くいた時代です。

濡れた衣服は渇きます。が、ポケットに入れていた自慢のストップウォッチ(SEIKO製)はダメになりました。暫くウォッチなしで教えていました。あのウォッチは捨てきれずに手元あったのですが、その後、どうしたのか…思い出せません。

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STAP細胞疑惑の渦。再生細胞医療分野のトップ研究者が亡くなった。

“人格暗殺”(Character Assasination)

メディアの攻撃。世間の冷たい目線。功を急がせた上層部。追い込まれたエリート科学者が選んだ「死」への道…。ショック。

彼を殺したのは誰だ。

ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。


友人は多くなくてイイ。少ない友人と誠実につきあう。
一生、励まし合ってゆく。それで充分ではないか。

『人間交際術』by アドルフ・クリッゲ



今日から8月。連日の猛暑。久しぶりに電車通勤。

車内は結構混雑。妊婦さんが乗車。座席の人々、少しづつ腰を浮かし、席を作った。妊婦さん、軽く会釈して座る。仰々しく席を立つ人もなく、無言。さり気ない。

込み合った場所では、握り拳一つ分、腰を上げ、空をつくる。すれ違う時、少し肩を斜めにして互いに触れないようにする。他人の顔や姿をジロジロ観ない。目をそらす。このようなチョットした気配りは“江戸透かし”と言う。

当時、江戸は世界一の人口密集都市。迷惑行為が最も嫌われた。互いに気を配る。さりげない行いが「粋」(カッコいい)とされた。

今日、電車の中で“江戸透かし”を見ました。今も昔も「粋」ですネ。

2014年8月4日月曜日

昭和の15年 70年後の今も足かせ 軍国主義


今年もあの日が来ますネ。1945年8月6日、午前8時15分。

広島へ原爆投下。2日後、長崎へ。2個で計20万人死亡。これがフィニッシュとすればスタートは満州事変。1930年9月、関東軍が柳条湖で鉄道爆破。その後、15年間で日本人、軍人600万人、民間人100万人が死んだ。

総帥権を傘に日本を“私物化”した陸軍参謀本部のエリートたち。極東裁判も難なく潜り抜け、戦後、無言。高額な恩給でヌクヌクと生きた。ずる賢い“妖怪”たち。

上の写真、広島直後、この少年は肉親の“葬儀”を独り見送っている。背中の弟は既に死しでいるらしい。このヒト、その後、どうなったのでしょうか。生きていれば80歳代のはず。どんな人生を歩んだのか。目頭が熱くなる一枚です。

下の写真、ご存じ司馬遼太郎。『竜馬がゆく』2125万部。『坂の上の雲』1475万部。戦後を代表する歴史小説家です。没18年経った今も日本社会に様々な影響力を持っていることはご承知の通りです。

幕末の坂本竜馬、明治大正の秋山兄弟。歴史の陰に佇んでいたヒトにスポットライトを照らし、世に知らしめた。多分、司馬が小説化しなかったら、彼らは歴史の中に埋もれたその他大勢の一人に過ぎず、決して今に名を残すことはなかったでしょう。

40数年前、フィリピン時代。マニラ市内にあった日本大使館に隣接した附属図書館に『竜馬がゆく』全5巻がありました。リザールプールで朝練(水泳指導)、遅めの朝食。それから昼まで冷房がギンギンに効いた図書館の一室で読書。それが“日課”でした。全5巻を数回読破。大の竜馬フアンになりました。そして、月遅れで届く月刊誌『文藝春秋』。司馬遼太郎の連載対談記事が楽しみでした。青春の思い出です。

さて、司馬は、長い日本史の中でも特に異様で奇妙な15年(ファシズム)。つまり、満州事件から終戦までの“昭和”を題材に次なるミリオンセラーを書こうと挑みた。この時期の権力機構の中枢だっ
た陸軍参謀の中に「次なる日本を考えた」日本人を探し求めた。厖大な軍事資料に目を通し、生存者を訪ね、10数年、東奔西走した。が、断念。小説に書きたい魅力的な人物は誰一人見つけられなかった…と後日『この国のかたち』の中で語っています。

ファシズムへと日本が疾走した道筋。資本主義が行き詰まり金融恐慌。政治家の弱さを金で動かした財閥。不景気の中であえいだ民衆。そんな不甲斐ない国家に不満を抱いた軍部。青年将校たちの背中を押した上層部。五・一五へ。二・二六へ。やがて国家総動員法が成立し、大政翼賛会で政治家全員を“封印”。思惑通り、軍人が管理運営する国家が実現した。その傲慢で強固な軍国主義が今に至る中国と韓国の反日感情の根底になっています。

なぜそんな道を歩むことになったのか。満州を植民地化することで欧米列強と肩を並べようとした軍部が悪かったのか。党利党略、私利私欲に毒された卑しい政治が悪かったのか。軍部の躍進に胸を躍らせた民衆が悪かったのか。たった15年の「昭和」の歴史が未だに日本の足かせになっているワケです。

大日本帝国陸軍参謀本部の中に屯していたエリートたちは知識人の仮面を被った“妖怪”だった。頭脳明晰だが、教養も哲学もない。小説化に耐え得る魅力的なヒトはいなかった。今も彼ら“妖怪”のDNAを受け継いだエリートたちが街を闊歩しているかもしれません。霞が関・永田町・丸の内あたりにいそうですネ。ご注意を…。

2014年7月28日月曜日

facebook 7月 まとめ

リーダーシップの要件。的確な「判断」と敏速な「行動」。その歴史上のグッド・サンプルが『中国大返し』。昨夜、NHK大形ドラマ『軍師・官兵衛』クライマックス第2弾でした。
昼夜、秀吉軍が走りぬいた岡山→姫路間。数万人が70キロを2日間で移動した。秀吉は本陣(姫路)に1泊後、すぐに兵庫へ。山崎の戦い。“三日天下”と称される明智光秀ですが実は9日間でした。この間、光秀は公家へ手持ちの金銀全部を献上。更なる援護を願った。ズル賢い公家たちは何もせず“濡れ手で粟”。一方、秀吉は姫路で全財産を兵へ放出。大いに士気が挙がったとされる。

信長に仕えた二人。共に一か八かの大勝負でした。今も昔も「金」と「時間」は使いよう。勉強になりますネ。

“裏切り者”の代名詞的な扱いの明智光秀。ですが、本当はどうだったのか。とても興味深い人物です。悲惨な運命を辿った明智一族。中でも三姉妹の長女、細川ガラシャはその極みです。

♪ 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ ♪

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今朝のCNN。人口頭脳搭載の小型ロボットのレポート。製造や介護に限らず、ビジネス一般の分野でも普及する勢いとのこと。何と雇用を17%削減するらしい。怖いね…。
人材育成の専門家が登場。人間しかできない能力は何…との問いに「発想力」と即座に回答。そのポイントは“思考ブロック”を外すこと。7つのカギがあるそうです。

①「固定概念」を捨てる。
②「常識」を疑う。
③「感情」に流されない。
④「言葉と価値観」に縛られない。
⑤「成功体験」を忘れる。
⑥「メディア情報」や「仕掛け」に踊らされない。
⑦「知識・情報」を過信しない。

強調していたラスト・メッセージは『“自分の頭”で考えること』なのだそうです。ドッキ…。とりあえず、頭(発想)はさておき体(実行)で勝負! 貴方はどうですか?


九州・大分へ。初めて別府に泊りました。静かな湾を望む部屋のベランダで読んだ一冊。ビタミンCの発見者でガン研究でノーベル賞を受賞。生化学者セント・ジョルジの書『狂ったサル』。
今世紀を代表する科学者の一人が自戒します。「果たして自分の歩んできた道がまちがっていたのではないか。人間の生命を貴み。その破壊のためではなく、その発展を願うためにこそ科学者は献身すべきだ。そういう価値観に誤りがあったのではないか…云々…」。

TVニュース番組のトップはマレーシア機撃沈(ウクライナ)とガザ攻撃(イスラエル)。人類は自滅への危機に立っているのかも…。サルは確かに狂っています。

親離れできない子も問題ですが、子離れできない親はもっと問題です。こんな親のことを「ヘリコプター・ペアレント」というらしい。「ライン」を介して親子で頻繁に交信。逐次レポート。指示を仰ぐ。まるで遠隔操作です。昼は会社から、夜は両親から“コントロール”される。次第に自立性がなくなり、依存性が高まる。こんな大人が増える会社や家庭。これから大変ですネ。

遠隔操作大好きなペリコプター・ボスは社員をダメにします。が、ペリコプター・ペアレントは子供をダメにする。特にお母さん、気を付けてください。

◎私の勤務する内科クリニックにも30代になってもお母さんが息子さんにくっついて来院する方が何人かいます。私もやっと授かった息子がひとりっこなので気を付けなきゃと思いますよ。[しまぐち みゆき]

◎子育ての最終章はいかに子供を自立させるかですね。大学の入学式にも両親、祖父母同伴なのも、、おかしい時代。育児のスタートの時から言わなければならないのかもしれません。[浅井 貴子]



1582年6月2日 本能寺の変

NHK大形ドラマ「軍師・官兵衛」のクライマックス。日本史上、稀に見る劇的な一日を描いた映像でした。面白かった。

光秀を唆す公家たち。本能寺を攻める明智勢。炎の中で自害する信長。伊賀超えへ挑む家康。大返しに活路を見出す秀吉。そして狼狽える主人に「ピンチがチャンスと“叱咤”する」主人公黒田官兵衛。中世のラストシーンに登場するオールチャストが右往左往するその日の出来事。

“マイナス”を“プラス”に変えるポジティブ思考。決断と実行。リーダーに求められる本質は今も昔もさほど変らない。歴史に学ぶ…とはそう言うことなのでしょう。勉強になりました。

2014年7月25日金曜日

ブラジルW杯 四年間の総決算


敗軍の将 兵を語らず ただ去るのみ  Grazie(グラーツィエ)ありがとう!
四年間、「夢」を見させてくれました。感謝。スペイン・イタリア・イングランド。ヨーロッパの“王者”たちも予選敗退。それだけW杯は特別な“存在”なのでしょう。とは言え、なぜ、直前になって戦術・人選を変更したのか。ホンネを聴きたかった。ド素人ですがそう感じました。

Past is Past in the Past…。



縁あって何度か訪れたリオ(ブラジル)。リオの名所コパカバーナ・ビーチ。早朝風景。ステッキエクササイズ、ヨーガ、ビーチバレー。そしてウォーキング。笑い声が絶えない人々。機会があれば、また、是非、訪れない。
旧市街地は意外に狭い。海岸沿いに立ち並ぶ高級アパート群。その裏側の急傾斜面一杯に立ち並ぶ家々。裸足でサッカーに興じる路地裏の少年たち。ネオンが灯る頃、街の様相は一変します。“ピン”と“キリ”とが矛盾なく混じり合った魅力的な街です。連夜、W杯テレビ観戦。寝不足です。




チーム・ジャパン ピッチで負け、ベンチで勝った!?
コートジボワール戦。初戦敗退。試合後、スタンドでの出来事を各国テレビ局は観ていた。何と雨除けに持参したゴミ袋を“リサイクル”。日本人サポーターたちがゴミ拾い。CNNが報じたテレ笑の若者。ゴミ袋片手に「ヘェ~負けしまいました」とのこと。日本人で良かった。



これまで4回、ブラジルへ。サンパウロ、リオ、コルチバ、ブラジリア、ポルトアレグレとそれぞれ1週間づつ滞在。南米一の豊かさな資源と活力に恵まれた国。多様な人々が超元気に暮らすエネルギッシュな国です。国土の広さは世界5位(日本の23倍)。ご存じ、サッカー王国。その国で近々ワールド杯が開催する。さぞ盛り上がることでしょう。“にわか”サッカーファンの一人ですが、大声でザック・ジャパンを応援します。ガンバレ・ニッポン。

戦後70年 ドイツに学べ 過去と未来 


70年前、第二次世界大戦、最大の修羅場と化したノルマンディ海岸(フランス)。今はのどかな避暑地です。1944年6月6日、連合国軍が強硬突破した日(D-day)。盛大な記念式の一部始終をCNNが中継放送しました。良く観ると何と現ドイツ首相(女性)が貴賓席に座っていました。

旧ドイツ(ナチ軍)と現ドイツは無関係。全く連続性がない。何度も強調してきた結果なのでしょう。仮に、現ドイツの首脳陣が言葉巧みに言い訳しながら、旧ドイツ(ナチ軍)の戦没慰霊をしていたら、今回、日本同様、招待されることはなったでしょう。

あの日、数時間で連合国軍1万人、ドイツ軍1千人が戦死。その1年3ヶ月後、日本へ2個の原爆投下。ノルマンディでの悲劇を繰り返さない。そんな“反省”が広島・長崎の“決断”につながったのかも知れませんネ。

日本首脳陣は、ドイツを見習い、そろそろ国益を考え、“大日本帝国”と決別する覚悟が要るのではないか。CNNを観ながらそんな事を感じました。余計な事でした。ハイ…

2014年6月2日月曜日

隣国の宿命 イギリスとフランスに学ぼう 


テレビ朝日の長寿番組、『朝まで生テレビ』。<反日・嫌韓・ド~する?!>(5月23日)のタイトルにつられ、つい観てしまいました。が、パネリストの顔ぶれの割には内容がない。ネガティブナな意見ばかりでガッカリ。途中で就寝。

古今東西、海峡で向かい合った隣国同士。文化や言語が異なると何かとシックリしない。“宿命”なのかもしれません。例えば、ドーバー海峡を挟んだイギリスとフランス。昔は戦争、今は討論。現状では、中世まで遡る歴史問題には触れず、理解と誤解を容認した上で友好関係を維持しています。

1990年代初頭。初めて韓国を訪問した時。日本の歌も映画も一切ダメでした。それが2002年のFIFAワールド杯共同開催を契機に風向きが一気に変わります。友好ムード。日本では“韓流ブーム”が起こりました。が、2010年前後から雲行きが徐々に怪しくなります。2012年、今太閣の大統領が突如「竹島」に上陸。衝撃的なパフォーマンス。そして、米国と韓国の日本大使館の門前に少女像を設置。国土領有権と女性人権の二つの“トゲ”がグサリと刺さります。日本も首相が次々変わり、政権交代もあり、リーダーたちは不慣れな上に軽々な言動が多く、慎重さに欠けました。よせばイイのにトップ自らが靖国詣を敢行。外交文書の見直しや再調査(100年前の戦時中の出来事)までしようと言いだす次第。お互いにやり過ぎ。険悪な状態。来年は日韓友好条約締結50周年の節目だというのに戦後最悪です。

東アジアで唯一先進国入りした日本と韓国。今後の発展にとって、この現状は極めて不利。無責任な民衆感情に迎合せず、両国のリーダーたちはもっと思慮深い言動を願うばかりです。お互い理解と誤解を認め合いましょう。歴史問題は棚上げる。過去より未来が大事。イギリスとフランスから学びましょう。

イギリスとフランスを仲直りさせた米国。本来なら、米国大統領が仲介の労を買って出て欲しいのがホンネ。が、“Big Bird”(セサミストリートのキャラクター)のニックネームの通り、口は達者だが汗は苦味なヒト。日韓の仲直りは次の実力者の登場まで待たねばならないかも…。残念。

2000年、ソウル・リハビリセンターの水中運動分野の海外顧問になりました。それ以来、毎年、訪韓。これまでに複数の国立大学で講演する機会に恵まれました。毎回、韓国の若い人々に暖かく歓迎されています。私的レベルで日韓交流に何ができるか。そう考えている今日この頃です。

2014年5月2日金曜日

生き方のルール



「人生の7つのルール」(7 Rules of Life)と題したコラムを読みました。思わず納得。自分なりの生き方を決め、出来る限り、それに従って生きたい。そう思いました。要約。以下の通りです。

1. 済んだ事をクヨクヨせず、今に生きる。
Make peace with your past so it won't screw up the present.

2. 周りからどう観られようと、気にしない。
What other think of you is none of your business.

3. 時が全てを洗い流し、癒してくれる。
Time heals almost everything, give it time.

4. 他人と比べない。他人と自分は違う。
Don't compare your life to others and don't judge them.You have no idea what their journey is all about.

5. 悩み、考え過ぎない。時に思わぬ事が起きるものだ。
Stop thinking too much, it's alright not to know the answers.They will come to you where you least expect it.

6. 何が幸せかは自分にしか解らない。
No one is in charge of your happiness, except you.

7. 微笑む。この世で出来ることは限られている。
Smile.You don't own all the problems in the world.


2014年3月25日火曜日

男の生き方 5つの言葉


3月23日、TBSテレビの中で二人の「男」を観ました。

一人はトヨタ自動車創業者の豊田喜一朗(写真下)。「小説日銀管理」(本所次郎著)をドラマ化したスペシャル番組『LEADERS』。終戦直後、経営危機に瀕したトヨタ自動車。長期化した労働争議の中で日銀名古屋支店からの融資で乗り切った史実。引責、社長退陣後、間もなく朝鮮動乱が始まり、軍用トラックの特需の中で経営が立ち直ってゆく。人生の殆どを自動車の国産化へ。が、タッチの差で繁栄を手にすることはなかった。

もう一人の「男」は石橋貴明(トンネルズ)のトーク番組『リシリな夜』。最終回のゲスト。直木賞作家の伊集院静。人生の谷と背を何度も往復。波乱万象。生きた時代も背景も次元も全く異なる「男たち」ですが、男らしい生きようとする姿勢は同じ。一言が深みがあり、カッコ良かった。

『男らしい生き方』とはどんな生き方か。今も語り草になっている象徴的なヒトがいます。白洲次郎(写真上)。戦後、占領下、GHQと日本政府との交渉人として体を張った。GHQが「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた男です。

彼らの共通項は、権力や金銭に媚びない。動じない。ブレない。シンプルでクリアな価値観。そんな人々が目指すのが次の5つ。今を昔も、これが男を磨く術です。すなわち…、

①(力や金に屈しない)「勇気」。
②(他人に頼らない)「自立」。
③(ホンネで生きる)「誠実」。
④(他人を許す)「寛大」。
⑤(弱者への)「親切」。


白洲と豊田は戦後の混乱期から復興期へ。同じ時代に生きたヒト。面識があったか否かは解りませんが、日本にはイイ男たちがいますね、「彼ら」は、歯を喰いしまり、必死に生きた。あんな生き方は到底ムリ。でも、見習いたい。ほんの少しでも…。